2024年5月14日 (火)

東京交響楽団 定期演奏会 ジョナサン・ノット指揮

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青く、めちゃくちゃ天気のよかった土曜日。

ミューザ川崎での東京交響楽団の演奏会に行ってきました。

ラゾーナ側から回り込んだので、ちょっと違うアングルのミューザ川崎です。

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  武満 徹   「鳥は星形の庭に降りる」(1977)

  ベルク   演奏会用アリア「ワイン」(1929)

             S:高橋 絵理

  マーラー   交響曲「大地の歌」 (1908)

    Ms:ドロティア・ラング

    T :ベンヤミン・ブルンス

  ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団

    (2024.5.11  @ミューザ川崎シンフォニーホール)

2014年の音楽監督就任以来、当初より取り上げてきたこのコンビのマーラーの最終章。
大地の歌をもって、すべて取り上げたことになるそうです。
あと2年の任期がありますが、ずっと続いて欲しいというファンの思いもありつつ、こうしてひとつの節目とも呼ぶべき憂愁あふれるプログラムを体験すると、残りの任期をいとおしむことも、またありかな。
そんな思いに包まれた感動的なコンサートだった。

プログラムの選定のうまさは、知的な遊び心以上に、われわれ愛好家の心くすぐる演目ばかりであることからうかがえることばかりでした。
都内の保守的な聴き手の多いオケや、入りを気にしなくてはならない地方オケでは、絶対に出来ない演目ばかり並ぶノットのこれまでの演奏会。

今回は、時代をさかのぼる順番で、マーラーに端を発する音楽の流れを体感させてくれました。
もっとさかのぼると、トリスタンとパルジファルがあって、マーラーときて、新ウィーン楽派・ベルクときて、ドビュッシーにして武満です。
マーラーは終着ではなくて、通過点であり、その先の音楽の豊穣があることを確信させるような演奏、「Ewig・・・ewig」繰り返される「永遠に」の言葉が今宵ほど美しく、この先が明るく感じられる演奏はなかった・・・・

①「鳥は星形の庭に降りる」

 調べたら手持ち音源は、小澤、岩城、尾高と武満音楽を得意とする倭国人指揮者の音盤をいずれも持っていた。
さらに記憶をたどると、岩城宏之指揮するN響のライブも聴いていた。
いずれも遠い彼方にある音楽だったが、今宵はドビュッシーとベルクの延長線上にもある武満音楽を我ながらすごい集中力で持って聴くことができた。
武満作品は、演奏会の冒頭に置かれることが多いので、どうしても後々の印象が薄くなったり、演奏に入りきれないまま終わってしまうケースが多いと思う。
今回は事前に、この日のプログラムを演奏順にCDで予習してきたので、後半に明らかにベルクを思わせるシーンを捉えていたので、まんじりとせず、耳をそばだてながら聴いた。
静謐さのなかに、鳥の舞い降りるイメージや音がホールの空間に溶けていってしまう様子など、ノットの共感に満ちた指揮ぶりを見ながら、音楽を感じ取ることができました。

②「ワイン」

 名品「初期の7つの歌」のオーケストラ編曲をした翌年、「ワイン」は「ルル」を書き始める前に書かれたコンサート・アリア。
3つの部分でなっていたり、シンメトリーが形成されていたり、イニシャルと音階への意味づけ、ダ・カーポ形式といういわば古い酒袋に十二音技法を詰め込んだような、そんなベルクらしいところが満載な音楽なんです。
アバドのCDと、ベームのライブなどを何度も聴いて、その芳醇な音楽とルルを思わせるシーンがいくつもあることなどで、大いに楽しみだった。
まず、ソプラノの高橋さんのぶれの一切ない強いストレートな声に驚いた。
リリックソプラノを想定したアリアだけれど、私の席に届いた声はもっと強靭にも感じた一方、タンゴの部分でのしゃれっ気ある身のこなし、軽やかな歌いこなしなど、表現の幅も広く、感心しながらも楽しみつつ拝聴。
ノットの指揮するオーケストラも、ベルクのロマン性と先進性をともに表出していて、ベルク好きの私を陶然とさせていただきました。

③「大地の歌」

 コンサートチラシにある言葉「人生此処にあり」
この言葉が意味するごとく、「生は暗く、死もまた暗し」・・・ではなくって、人生いろいろ、清も濁もみんなあり、みんな受け入れようじゃないか・・・そんな風に感じた、スマートかつスタイリッシュな「大地の歌」だったように思います。
ご一緒した音楽仲間がタイムを計測してまして、60分を切るトータルタイムだったと証言してます。
早い部類に属するかと思いますが、聴いてて絶対にそんな風に感じさせない個々のシーンの充実ぶりと、気持ちのこもった濃密さ。
概して明るめの基調だったわけですが、歌手の選択にもそれはいえて、ふたりの声の声質は明るめでした。

 テノールのブルンスは、出てきたときからどこかで見たお顔とずっと思い聴いてた。
帰って調べたら、バイロイトのティーレマン指揮のオランダ人(グルーガーの変な演出)のときに舵手を歌っていた人だった。
さらにみたら、バッハコレギウムでエヴァンゲリストも歌ってました。
だから声はリリカルで柔らかくもあり、強いテノールでもないが、張りのある声と言語の明瞭さが決してその声を軽く印象付けることがなかった。
聴いた瞬間に、タミーノを歌う歌手だなとおもったら、やはり重要なレパートリーのひとつだった。
3つの楽章、みんな明瞭かつ清々しい歌唱だったが、「春に酔った者たち」がマーラーの音楽と詩の内容とが巧みにクロスするさまも交えて、とても印象的だった。
ヒロイックでないところがいちばん!

 メゾのドロティア・ラングは、名前からするとドイツ系と思われたがハンガリー系とのこと。
Dorottya Láng = わからないけれど、ハンガリー風に呼ぶならば、ドロッテッヤ・ラーンクみないた感じじゃないかしら、しらんけど。
身振り手振りも豊かに、音楽と詩への共感とのめり込み具合が見て取れる。
オペラでの経験も豊富で、オクタヴィアンと青髭のユーディットなども持ち役で、ドラマチックな歌唱も得意とするところから、この大地の歌も表現の幅がとても広く、ビブラートのないこちらもストレートで透明感ある声と思った。
「告別」での感情移入はなみなみのものでなく、わずかに涙を湛えているかのように見えました。
それでも表現が過度にならないところは、ノットの指揮にも準じたところで、客観性もともないながら、音楽の持つある意味、天国的な彼岸の世界を明るく捉えていたのではないかと思う。
東響の素晴らしすぎる木管群に誘われ、ラングの歌は、どんどん清涼感と透明感を感じるようになり、聴くワタクシも知らずしらず、歩調をともにして、マーラーの音楽と呼吸が合うようになり、いつしか涙さえ流れてました・・・・
こんなに自然に音楽が自分に入り込んできて、気持ちが一体化してしまうなんて。
彼女のナチュラルな歌唱、ノットと東響のお互いを知り尽くした自然な音楽造りのなさせる技でありましょうか。
「永遠に・・・・」のあと、音楽が消えても静寂はずっとずっと続きました。

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アフターコンサートは久方ぶりに、気の置けないみなさまと一献

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コンサートの感動でほてった身体に、冷たいビールが染み入りました。

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つくね、ハイボールもどこまでも美味しかった。

この土曜日は首都圏のオーケストラでは、同時間にいくつもの魅力的な演奏会が行われました。

それぞれに、素晴らしかったとのコメントも諸所拝見しました。

こうして音楽を平和に楽しめること、そんな倭国であること、いつまでも続きますことを切に願います。

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2024年5月 3日 (金)

プロコフィエフ 「3つのオレンジの恋」 

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桜が終盤の秦野の出雲大社相模分祠。

秦野は近いし、商業施設も豊富なので、週に1~2回は行きます。

歴史ある施設も多く、行くたびにいろんな発見があります。

毎年の節分には、大相撲の力士も訪れ、豆まきをしますが、今年は近くの地元の熱海富士が来ました。

こんな倭国の風物を、短期間ですが倭国滞在したプロコフィエフはどの程度味わったでしょうか。

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プロコフィエフ(1891~1953)の作品シリーズ。

略年代作品記(再褐)

①ロシア時代(1891~1918) 27歳まで
  ピアノ協奏曲第1番、第2番 ヴァイオリン協奏曲第1番 古典交響曲
  歌劇「マッダレーナ」「賭博者」など

②亡命 倭国(1918)数か月の滞在でピアニストとしての活躍 
  しかし倭国の音楽が脳裏に刻まれた

③亡命 アメリカ(1918~1922) 31歳まで
  ピアノ協奏曲第3番 バレエ「道化師」 歌劇「3つのオレンジへの恋」

④ドイツ・パリ(1923~1933) 42歳まで
  ピアノ協奏曲第4番、第5番、交響曲第2~4番、歌劇「炎の天使」
  バレエ数作

⑤祖国復帰 ソ連(1923~1953) 62歳没
  ヴァイオリン協奏曲第2番、交響曲第5~7番、ピアノソナタ多数
  歌劇「セミョン・カトコ」「修道院での婚約」「戦争と平和」
 「真実の男の物語」 バレエ「ロメオとジュリエット」「シンデレラ」
 「石の花」「アレクサンドルネフスキー」「イワン雷帝」などなど

年代順にプロコフィエフの音楽を聴いていこうという遠大なシリーズ。

  プロコフィエフ 歌劇「3つのオレンジへの恋」op.33

1916年の「賭博者」につぐ、残されたプロコフィエフ3番目のオペラ。
「古典交響曲」を経てピアニストとしても絶頂にあったプロコフィエフ、3番目のピアノ協奏曲を手掛けた。
最初は喜んで迎えた革命も、もしかすると音楽家としてこの先、ロシアではうまくやっていけないのではないかと不安になり、アメリカに発つ。
1918年5月に出発、夏までのアメリカ航路がないため、3か月間倭国に滞在し、東京や横浜でピアノコンサートを行ったのはご存知のとおり。
プロコフィエフの作曲活動のなかでは、「放浪記」などと呼ばれもしますが、この間に得たいろんな体験は、さまざまな作品のなかに刻まれてます。

このオペラの原作は、1720年ヴェネツィア生まれの劇作家カルロ・ゴッツィの同名の作品。
ゴッツィは仮面劇のコメディア・デッラルテの作者で、寓話的な作品が多い。
かの「トゥーランドット」もこの人の作だし、ワーグナーの処女作「妖精」もゴッツィの「蛇女」という作品がベース。
しらべたら、ヘンツェもゴッツィ作をオペラ化してたりする。

皮肉やユーモア、風刺に満ちたゴンツィの作風をロシアの見せかけ的な自然主義に満ちた演劇界に対する反論として、演劇雑誌を出版していた劇作家のメイエルホリド。
プロコフィエフは、このメイエルホリドとも親交があったので、「3つのオレンジへの恋」を特集したその雑誌をアメリカへの渡航にも持参していた。
ロシア語訳されたものを、プロコフィエフ自身がフランス語で台本をしたためていた。
渡米後、シカゴでの演奏会が成功し、同時にシカゴ・オペラから新作を委嘱され、ちょうどよろしく、この作品であてがうこととなった。
1921年に完成、依頼主のシカゴオペラの代表の死などがあり、初演がやや遅れたものの同年暮れに初演された。

プロコフィエフのオペラによくあるように、登場人物が多くて主役級はいるものの、全貌の把握が難解で、音源だけでは理解が完全には及ばないと思う。
「魔法をかけられた王子が魔術師の宮殿に導かれ、3つのオレンジを盗み、そのうちのひとつから出てきた女性と恋に落ちて花嫁として迎える」
こんなたやもないお伽話。
「行進曲」ばかりが有名だけど、確かにこの行進曲が鳴り響くと快感を覚えるほどにはまりますが、そればかりでない、この時期のプロコフィエフ節が随所に炸裂。
全4幕、1時間50分ほどのちょうどよい短さ。
深刻さゼロで気軽に聴ける音楽ではありますが、古典への傾きとともに、野心的なモダニズム、高揚感もたらすリズム、クールなニヒリズムなど、まさにプロコフィエフならではです。

おとぎの世界だから変な連中ばかり出てくる。

  架空の王国の支配者♣の王  バス
  その王子           テノール
  王女 王の姪         メゾソプラノ
  首相レアンドレ        バリトン
  トルファルディーノ 道化   テノール
  パンタロン 王の顧問     バリトン
  チェリオ 魔術師の王の守護者 バス
  ファタモルガーナ 魔女    ソプラノ
  リネッタ オレンジ1号   コントラルト
  ニコレット オレンジ2号  メゾソプラノ
  リネット  オレンジ3号   ソプラノ
  スメラルディーナ 黒人奴隷  メゾソプラノ
  ファルファレロ 悪魔    ジェームズ・ウルフ
  クレオンテ 巨大な調理人  バス
  司会者           バス
  悲劇、喜劇、抒情劇、茶番劇のそれぞれ擁護者
  悪魔、廷臣、大酒飲み、大食い、怪物、兵士・・・・たくさん

こんな訳のわからん連中がうじゃうじゃ出てきて、まくしたてたり、わらったり、嘲笑したり、泣き叫んだりを大げさにしますよ。
舞台映像も数種観たけれど、かぶりもの、コスプレ、考え抜かれ凝りにこった装置など、見た目も楽しい、なにもそこまで的な愉快なものばかり。
しかし、劇も音楽も面白いけど、内容の深みは少なく浅薄に感じるんだよな~
前のオペラ「賭博者」はドストエフスキーの描いた人間のサガや、ロシア人の留まることをしらない没頭ぶりと、冷淡さを音楽でも見事に表現しつくしていた。
このあとに来る「炎の天使」の狂気すれすれの緊張感ともまた違う。

のちにプロコフィエフが語ったこと、「私が試みた唯一のことは、面白いオペラを書くことでした」。
まさに、この言葉につきます。
素直にこのドタバタ劇の奇想天外なストーリーを楽しみ、そこに軽やかまでに乗ったプロコフィエフの洒脱な音楽を楽しむに尽きるのであります。

物語りや人物たちに、いろんな比喩や風刺の意味合いを読み解くこともアリだとは思うけれど、私はそこまでのことをして、この愉快なオペラをひねくり回したくはない。
むしろ、ドネツクで生まれたウクライナのプロコフィエフという側面で、かつては
ロシア帝国の人だった彼が、ロシア革命を嫌い出て行った、そのプロコフィエフがこんな軽い仮面劇をベースにしたオペラを書いた。
アメリカに行けた解放感もあったであろう。
また思えば、ウクライナはロシア帝国の一部であり、音楽はチャイコフスキーもプロコフィエフも両国が同根であることを忘れてはいけないと思う。

ややこしいそのあらすじ

プロローグ

悲劇、喜劇、抒情劇、それぞれの役者たちがどんな劇をみたいのか争うが、おかしな人々も加わり、「3つのオレンジへの恋」を主張する。
伝令が登場し、クラブの王の息子の王子がうつ病になったと告げる。

第1幕
 
医者は王子が治る見込みはないと報告、絶望の王は、笑いによる奇跡の力を思い起こす。
顧問パンタロンは、道化師のトルファルディーノに助けを求め宮廷で余興大会を開催することとする。
王の座をねらう首相レアンドロは、これに反対

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王派の魔術師チェリオと首相派の魔女モルガーナがトランプ対決を行うが、チェリオは負けてしまう。
王の姪は、首相に王位をあたえ結婚しようとたくらむ、そのためには王子の病状を悪化させようと薬を盛るか、銃弾でやるかを首相にせまる。
これを聞いてしまった召使のスメラルディーナは、ふたりに捕まってしまうが、かわりにチェリオが後ろについてることと、モルガーナが助けてくれるだろうと進言し仲間になる。

第2幕

道化トルファルディーノがいくら頑張って笑わそうとしても王子は無反応。
王子を無理やり宮廷の広間に引き出す。
そこで始まる「行進曲」、さまざまな連中が入場してくる。

ばかげたダンスや出し物が演じられたにもかかわらず、王子は無反応で見事に失敗。
しかし、そこへ魔女のファタモルガーナが登場し、自分がいる限りは王子には笑いはないよ、と宣言。
トルファルディーノが警戒し、彼女が王子に近づくのを阻止しようと突き飛ばすと、派手にひっくり返ってしまう。
それを見た王子は笑い出してしまい、止まらない。

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怒ったファタモルガーナは、王子に対し「3つのオレンジに恋をせよ!」と呪いをかけてしまう。
王子は、クレオントの城にむけて、トルファルディーノを引き連れて出立する。

第3幕

魔法使いチェリオは、悪魔ファルファレロを呼び出し争うが、すでにトランプで魔女に負けているので敵わない。
そこへ王子とトルファルディーノがあらわれ、チェリオは、これから向かうクレオントの城では3つのオレンジを守っている料理女に気を付けろ、と魔法のリボンを渡す。
さらに、水のあるところでなければ、オレンジの皮をむいてはいけないと警告。

城に到着した二人は、不安で一杯。
そこへ大きな料理人がひしゃくを持って出てきて、行く手を阻止する。
トルファルディーノが魔法のリボンをみせると、料理人はリボンを気に入ってしまい、そのすきに王子は3つのオレンジを持って逃げる。

砂漠へ逃げた王子、オレンジたちはどんどん大きくなるが、疲れ切った王子は寝てしまう。
ぜんぜん起きてくれない王子の横で、喉が渇いたトルファルディーノはオレンジのひとつの皮をむいてしまう。
すると中から王女リネットがあらわれるが、彼女は飲み物を求める。
トルファルディーノは、ふたつめのオレンジの皮をむくが、その間リネットは死んでしまう。

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2つ目のオレンジからは、王女ニコレットがあらわれるが、彼女も飲み物を求めやがて死んでしまう。
困惑したトルファルディーノは逃げてしまう。
やがて眼をさました王子は王女の死を悲しみ、通りかかった兵士たちに、亡くなったふたりの王女の埋葬を依頼し、3つ目のオレンジに手をかける。
すると今度は違う王女、ニネットがあわられる。
彼女は愛を告白し、ふたりは恋に落ちるが、またしても喉の渇きを訴えるものの、そこへプロローグで出てきた「おかしい人々」が水を持ってきて、彼女は救われる。
王子は、ニネットを連れて宮廷に戻ろうとするが、こんな格好ではいけないわと言うので、立派な服を持ってくるよと言い残して去る。
そこへ召使のスメラルディーナとファタモルガーナが出てきて、リネットに魔法のピンを刺してしまう。
すると彼女はネズミに変ってしまう。
行進曲が聴こえ、王子が王様ご一行を連れて戻ってくると、スメラルディーナが自分が王女ですと名乗り出る。
王子はこんなの違うと言い張りますが、王は結婚を命じてしまし、首相と王の姪はほくそ笑む。

第4幕

チェリオとファタモルガーナがまたもや口論をして争うが、ここでまた「おかしい人々」が出てきて、ファタモルガーナを突き飛ばしてやっつけてしまう。

宮廷では王子の結婚式の準備が進んでいるが、王女の席にはネズミがいる。
チェリオが魔法を解いてあげると、そこには王女リネットが戻ってくる。
今回の謀反に気が付いた王は、3人の首謀者の処刑を命じる。
しょっぴかれる3人であるが、そこへファタモルガーナが出現し、3人を連れて姿を消す。

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国王と廷臣たちは、大いに喜び、王子と王女を新婚夫婦として祝福します。

          

荒唐無稽のありえへん物語ですな。
この寓話に、なにを見るか、なにが風刺されているかを考えたり、読み解くことはできるだろうか。
それは難解で、極めて無理難題なこじつけをするしかない。
音楽だけを聴くならば、プロコフィエフのナイスな音楽、ユーモアにあふれた音楽、行進曲など感覚を刺激する音楽を楽しむにつきる。
そして舞台映像としてはいくつかあるが、最新の技術で克服されたユニークで巨大な舞台装置や、登場人物たちの奇想天外な衣装や化粧などを、なにも考えずに観て楽しむにつきます。

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  架空の王国の支配者♣の王  ガブリエル・バキエ
  その王子           ジャン=リュク・ヴィアラ
  王女 王の姪         エレーヌ・ペラギャン
  首相レアンドレ        ヴァンサン・ル・テキシエ
  トルファルディーノ 道化   ジョルジュ・ゴーティエ
  パンタロン 王の顧問     ディディエール・アンリ
  チェリオ 魔術師の王の守護者  グレゴリー・ラインハルト
  ファタモルガーナ 魔女     ミシェル・ラグランジュ
  リネッタ オレンジ1号    ブリギッテ・フルニエ
  ニコレット オレンジ2号   キャスリーン・デュボスク
  ニネット  オレンジ3号   コンシュエーロ・カローリ
  スメラルディーナ 黒人奴隷   ベアトリス・ユリア=モリゾン
  ファルファレロ 悪魔    ジェームズ・ウルフ
  クレオンテ 巨大な調理人  ジュール・バスタン
   ほか多数

    ケント・ナガノ指揮 リヨン国立歌劇場管弦楽団
              リヨン国立歌劇場合唱団

       (1989.3~4月 リヨン)   

唯一持ってる音源。
いつもオペラを親しむすべとして、ともかくこのCDは何度も聴きまくりました。
海外盤なのでフランス語主体のリブレットは、英語訳でも字数がやたらと多くて難解。
だから、何度も聴いてその音楽を親しむのみ。

ナガノはこうした洒脱な作品には、抜群の切れ味を示します。
多くの演者を従え、難解なオーケストラも完璧に統率。
唯一のわずかな不満は、不真面目さがないことで行儀がよすぎること、遊び心が少なめなところ。

バキエやバスタンなど、懐かしい男声歌手。
リリックな王子役、芸達者な道化役や、かわいらしいオレンジ3号など、劇場でいつも歌ってる歌手たちのまとまりの良さも特筆です。
この音源には、スタジオ収録的な映像作品もあり、ネット上で確認もしましたが、やや時代を感じさせるもので舞台も簡潔なものでした。

ゲルギエフとマリンスキー劇場が倭国でも上演していて、そのときの舞台がどんなものだったか、また音源は非ロシアのものばかりですので、ロシア人による演奏も気になるところです。

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  架空の王国の支配者♣の王  マルティアル・デフォンティン
  その王子           アラン・ヴェルヌ
  王女 王の姪         ナターシャ・ペトリンスキー
  首相レアンドレ        フランソワ・ル・ルー
  トルファルディーノ 道化   セルゲイ・コモフ
  パンタロン 王の顧問     マルセル・ブーネ
  チェリオ 魔術師の王の守護者  ウィラード・ホワイト
  ファタモルガーナ 魔女     アンナ・シャフジンスカヤ
  リネッタ オレンジ1号    シルヴィア・ゲヴォルキアン
  ニコレット オレンジ2号   アガリ・デ・プレーレ
  ニネット  オレンジ3号   サンドリーヌ・ピオー
  スメラルディーナ 黒人召使   マリアンナ・クリコヴァ   
  ファルファレロ 悪魔    アレクサンドル・ヴァシリコフ
  クレオンテ 巨大な調理人  リチャード・アンガス
   ほか多数

 ステファヌ・ドゥヌーヴ指揮 ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団
                ネーデルランド・オペラ合唱団

       演出:ローラン・ペリー

       (2005  アムステルダム音楽劇場) 

DVDでの鑑賞。
これは実に面白かったし、いろんなアイデア満載で、しかも笑えました。
ペリーならではのお洒落でセンスあふれる舞台と、登場人物たちの自然な所作で共感を呼ぶ描写の数々。
そして衣装や舞台装置もデフォルメされつつ超リアルで、見ていてほんとに楽しい。
それらがプロコフィエフのリアリスティックな音楽に奥行きを与え、ファンタジー感もプラスしている。

ドゥヌーヴの明快な指揮がよい。
親日家のドィヌーヴ氏は、故小澤さんのオペラにおける弟子的な存在にもなりましたが、プロコフィエフのリズミカルな局面をとてもよくつかんでオランダのオケから鮮やかなサウンドを引き出している。
荒唐無稽なオペラの進行のなかにも、しっかりとした音楽性とオペラティックな雰囲気や呼吸をよく出していると思う。
ペリーの演出では、指揮者も演者のひとりとなり、道化のトルファルディーノがピットに降りて来たりで、愉快な場面を演じてました。

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王子の正妻役となるニネット姫を若きピオーが演じていて、その声の無垢な佇まいと、この役に与えられた可愛さを短い出番ながら完璧に歌い演じてました。
ほかの諸役も特色ある役柄をそれぞれユニークな存在として歌い演じて、誰ひとり穴がなくなり切っているところが面白い。
いつまでもパジャマ姿のヴェルヌの王子役と道化のセルゲイ・コモフのやりとりも愉快。
ウォータンのような杖を持ったウィラードの貫禄と強烈な声によるチェリオ。
ナターシャ・ペトリンスキーの悪役だけど、姪役が美人でなによりだった。

通常のDVDでの視聴だったが、ブルーレイでの視聴になれてしまうと、映像の輪郭の甘さが気になってしょうがない。
こうした作品こそ、ブルーレイ化して欲しいものです。

あと、音源や映像では、ゲルギエフ、ソフィエフ、ハイティンクなどがあり、とくにグラインドボーンでのハイティンクの着ぐるみ満載の舞台をなんとか見てみたい。



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2024年4月20日 (土)

マルサリス ヴァイオリン協奏曲 ニコラ・ベネデッティ

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連日、天候がうらめしくなるほどに雨ばかりだった4月の桜シーズン。

久々の好天に桜見物に出かけました。

こちらは、秦野市。

秦野は県の中央にあって、神奈川県唯一の盆地。

寒暖差があり、名水にも恵まれ、自然豊かな里で、桜の名所が市内にたくさん。

6Kmにおよぶ「桜みち」は圧巻です。

この日は、丹沢から流れる水無川流域を散策

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季節の変わり目、人生の変わり目に、倭国の桜はぴったりですが、散るのも早く哀愁も感じますね。

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  ウィントン・マルサリス ヴァイオリン協奏曲

     ニコラ・ベネデッティ

 クリスティアン・マチェラル指揮 フィラデルフィア管弦楽団

           (2017.11.2 @フィラデルフィア)

ウィントン・マルサリスといえば、ジャズのトランぺッターという認識が強く、80年代にジャズのスタンダードをあつめたアルバムを購入してよく聴いていたものだ。
そのあとは、レッパードと共演したハイドンのトランぺット協奏曲があったぐらいの記憶でした。

大好きなヴァイオリニスト、ニコラ・ベネデッティがマルサリスのヴァイオリン協奏曲を録音したので、一応全部の彼女の音盤は集めているので、すぐに購入して一度聴いてのみもう何年も過ぎてしまった。
しかし、今年の1月にBBCで、ベネデッティのヴァイオリン、ロウヴァりとフィルハーモニア管のライブを聴き、とても興奮し感銘も受けたのです。
ジャケットでは年齢を経てふくよかになったマルサリスが、かつての昔、小粋なスタンダードジャスを聴いたあのマルサリスと同一人物であることも、いまさらながらに認識。
ベネデッティのために書いたということ、マルサリスにはほかにもクラシック作品があり、交響曲などもあることもいまさらに認識。

いまいちど、CDを桜の季節に聴いてみた。
この曲は、今現在はベネデッティ(以下、親しみを込めてニッキーと呼びます)の独壇場で、ライブでの録音音源もほかに2種持ってますので、いずれも繰り返し聴いてます。

ジャズの聖地ニューオーリンズ生まれのマルサリスは、ジャズトランぺッターとしての存在を極めてのち、作曲をメインに転じました。
ジャズとクラシックの融合、当然にそのスタイルは相いれないものも多いが、それぞれの共通スタイルを見出すことを前提に作曲をしているという。
その共通項のひとつが、ヴァイオリンであり、フィドルです。
フィドルは、古くはアイルランドのケルト、スコットランド、北欧とくにノルゥエーなどの民族的な音楽、さらにはアメリカのカントリーやブルーグラス系にみられます。
スコットランド出身のニッキーは、ずっと祖国の音楽を好んで演奏してきてます。
そしてこの曲が、彼女のために書かれたこともわかります。
フィドル奏法は、ヴィブラートをかけず、開放弦を多用し、音の移動は巧みに装飾音で飾る、そんなイメージであります。
このCDにカップリングされた、やはりニッキーに書かれた「ソロ・ヴァイオリンのためのフィドルダンス組曲」の方にフィドルの技法はより強く出てます。

協奏曲は、4つの楽章からできてます。
「ラプソディ」「ロンド・ブルレスケ」「ブルース」「フーテナニー」の4つで、全曲で43分の大作です。

①「ラプソディ」
悪夢となり、平和へと進み、先祖の記憶に溶けていく複雑な夢~とマルサリス自身がコメントしてます。
ニッキーのyoutube解説でも、この平和で美しい雰囲気とそのメロディをソロで弾いてます。
夢想的であり、平安と癒しの世界は、バーバーの音楽を思わせるが、フィドル時な要素を含みつつジャジーな傾きも見せるステキな音楽だ。
平安もつかのま、ポリスの警笛もなる中、喧騒も訪れる。
このあとの展開もふくめ、わたしは、マーラーを意識した世界観を感じたものだ。
あとディズニー的な理想郷をも感じさせるラストは、音楽として共感でき、単独楽章としてもいい作品だと思う。

②「ロンド・ブルレスケ」
ブルレスケ=バーレスク
マーラーの9番の3楽章がロンド・ブルレスケ
ブルレスケはカリカチュアや、比喩、こっけいな誇張などを意味することば。
オケのピチカートと楽員たちの足踏みに乗って、ヴァイオリンが高域をキューキュー言わせながら走り抜ける、そんな怪しい雰囲気。
デンジャラス感もあり、しつこいくらいにここでも喧騒なムードを繰り返すなか、ヴァイオリンは超絶技巧のパッケージを連発。
「ジャズ、カリオペ、サーカスのピエロ、アフリカのガンボ、マルディグラのパーティー」と作者は記している。
ジャズ系のパーカョンとともに、ソロヴァイオリンっが繰り広げるカデンツァは、ジャンルの垣根を超えたクロスオーバーの世界。
そのフリーな感覚はなんの論評も不要だろう。

③「ブルース」
前章の後半から続く、ジャズなムード主体のオール・ジャンルな雰囲気で、このまさにブルースは継続する。
泣きの音楽、まさにブルーグラス。
金管はビッグバンド的な様相を呈しつつも、巧みにヴァイオリンソロによりそい、ジャズコンチェルトみたい。
ユニークかつ、どこかで聴いたことあるような音楽は、とても懐かしくそれはまた、いま狂ってしまったアメリカの良き時代へのノスタルジーだ。 

④「フーテナニー」
めちゃくちゃに盛り上がる前半。
オケ員が足を踏み鳴らし、手拍子でリズムをとり、ヴァイオリンソロは無窮動的に合いの手を入れつつ、ついにヴィルトゥオーソの極み、アメリカ版のフィドルが炸裂。
後半は徐々に全体がフェイドアウトしてゆき、フィドル奏者がファンキーな街をあとにして去っていくような、そんなムードとなり静かに終わる。
実演では、ニッキーはヴァイオリンを弾きながらステージを去ります。

ベートーヴェンやブラームス、エルガーの協奏曲と同じくらいの長さ。
そうしたクラシカルな協奏曲にもひけをとらない協奏曲だと思いますが、ヴァイオリンソロはニッキーのようにフィドルが身体に沁みついているようなルーツがないと、面白くないかもしれません。
ニッキーは欧米豪の各オーケストラで、この作品を弾いてますが、残念ながら倭国には来ませんね。

録音したライブは、ガフィガンとスコットランド国立菅とのプロムスのものと、ロウヴァリとフィルハーモニーアとの2種を聴いてます。

ロウヴァリとフィルハーモニア管は来年に来日するので演目によっては飛びつきたい、そんな新鮮なコンビなんですがね・・がっかりさせてくれますわ、ベネデッティを連れてきて、この曲をやればいいのに。
今年のロンドンフィル(ティチアーティ指揮)も同じく。
倭国人奏者ばかりとの共演で、すべての公演に有名協奏曲がついてる。
メインも有名曲ばかりで、せっかくの英国の名門オケなのに、若い注目指揮者なのに・・・・
ほんとに頭にきますよ、呼び屋さんの問題なんですかね。

話しはそれましたが、このCDで指揮してるマチェラルも、いま大活躍のルーマニア出身の指揮者。
ケルンWDR響とフランス国立菅のふたつのオケを率いていて、レパートリーも多彩だ。

4楽章のさわりを。
ガフィガン指揮するパリ管とのリハーサルです。



このリズムには誰しも反応してしまいます。

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はやくも来年の桜が楽しみ。

倭国人は桜がほんと好き。

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2024年4月14日 (日)

ネヴィル・マリナー 100年

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中井町の山上のひとつ。

見晴らし抜群で、富士と大山、丹沢山麓、箱根の山々、さらには相模湾も見渡せる絶景の地。

まえから来ようと思っていたけれど、自宅から割とすぐだった。

ここが整備された公園となっているのは、9年前にここにできたメガソーラーとともに開発されたものだからです。

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神奈川県西部エリアで最大規模のソーラー発電所。

ここでは趣旨が違ってしまうのでこれ以上は書きませんが、自然エネルギーはたしかに有用でしょう。

しかし、もうお腹いっぱい、これ以上、倭国の自然を壊さないで欲しい。。。

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サー・ネヴィル・マリナー(1924~2016)、4月15日が誕生日で、この日100年となります。

現役のまま亡くなって、はや8年。

残された膨大な音源は、まだまだ聴きつくすことができず、これからの楽しみもたくさん残していただいた。

アンソロジー化も期待され、ヘンデルばかりを集めたボックスも出るようだ。

存命なら100歳、今日は特にマリナー卿の小粋な演奏ばかりを、さわやかな晴天の空を眺めながら聴いてみた。

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  ヴィヴァルディ 二重協奏曲集

   ネヴィル・マリナー指揮 アカデミー室内管弦楽団

         (1982.11 @ロンドン)

500曲はあるとされるヴィヴァルディの協奏作品。
そのなかから、ふたつの楽器のための作品ばかりを納めた、これもまたマリナーらしいナイスな企画。
「2つのトランペット、ヴァイオリン」「2つのホルン」「2つのマンドリン」「2つのフルート」「2つのオーボエ」「オーボエとバスーン」。
こんな多彩な曲の詰め合わせは、なんど聴いても飽きない、バロック音楽らしい明るく屈託のなさがひかります。
ヴェネチアの少女孤児院ピエタのためにその協奏曲の大半が書かれたというが、これらの2重協奏曲もホルン以外はいずれもそうだと言います。
録音時、すでに古楽奏法は流行りだしていたけれど、ピリオド奏法などなどまったく感知せずに、いつものとおり、さらりと、爽やかに演奏してのけたマリナーとアカデミーの面々なのでした。

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  ハイドン 交響曲第83番 ト短調 「めんどり」

    ネヴィル・マリナー指揮 アカデミー室内管弦楽団

          (1977.10 @ロンドン)

レコードで、その曲名をモティーフにしたすてきなジャケットとともシリーズ化された、ハイドンのネイムズ・シンフォニーとパリ交響曲。
全部で33曲録音されている。
生真面目にハイドンの音楽に取り組んだ、清廉でかつ新鮮な演奏は、まさにエヴァーグリーン的な存在として、いまだに特別な存在意義のあるものです。
発売当時は、某廃刊誌の月評でけちょんけちょんに書かれたけれど、CD化されて初めて聴いたワタクシの耳には、すんなりと曲は流れるが、随所に微笑みとマリナーらしい、そっけなさも味わいに感じるステキなハイドンに聴こえたものです。
あえて短調の曲をえらんだのは、名前の由来となった「めんどり」の鳴き声をマリナーの棒で確認してみたかったから。
そしてやはりマリナー、カラヤンのようなそれ風の演奏とは違い、あっさりとサラッとやってた。
いろんな技巧の詰まったハイドンの音楽の面白さを素直に感じる演奏。
70年代、アナログ最盛期のフィリップス録音も素晴らしいものでした。

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  ロッシーニ 序曲集

    ネヴィル・マリナー指揮 アカデミー室内管弦楽団

         (1974.5 、1976、1979 @ロンドン)

モーツァルト、スッペ、オッフェンバック、ウォルフ・フェラーリ、ワーグナー・・・さまざまに残されたマリナーのオペラ序曲集のなかにあって、最高の成功作がロッシーニ。
75年に第1作が、こちらのジャケットで発売。
その後、録音を重ね、最後には現存する序曲のすべてを録音してしまった。

アバドの既成の慣習を取り払った透明感あふれるロッシーニに聴き慣れた耳には、マリナーのロッシーニはアバドほどの先鋭感はなく、アバドほどの鮮やかなまでの俊敏性は感じられず、ロッシーニ演奏の革新から一歩下がったようなイメージを与えることとなった。
でもね、いろんな指揮者の新旧のロッシーニ演奏を聴くうちに、さらには、マリナーが序曲ばかりでなく、オペラのいくつかを録音し、それらを聴くうちに、マリナーの古典音楽への清廉な解釈の延長にあるロッシーニ解釈が過分な解釈なしの、スッキリ感あふれる、そして切れ味抜群の演奏であることを見出し、いまや快哉を叫ぶようになってまいりましたね。

こんな演奏が、あたりまえに行われ、音楽レーベルも普通に企画して販売していたいまや幸せな時代。
マリナーは、カラヤンとともに、そんな時代を音楽家として生き抜いたんだと思います。

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  エルガー 弦楽のためのセレナード

   ネヴィル・マリナー指揮 アカデミー室内管弦楽団

         (1967.11 @ロンドン)

最後は指揮者というより、アカデミーのリーダーとして、ヴァイオリンを弾きながらリードしていたかもしれない頃のマリナーの至芸。
まさにエルガーのノビルメンテな、気品と愛情あふれる柔和な世界を、きどらずに普通に再現。
慈しみあふれるバルビローリ、きりりとした背筋のびるボールト、大家たちの素晴らしい演奏ともまた違った日常感覚あふれる、まさにさわやかさ満載のエルガー。
ちょっと距離を置きつつ、でもとても親密な優しい演奏、そんなマリナーの演奏。
序奏とアレグロも素敵すぎます。
こんなエルガーを、さらりと聴かせる演奏家、いまではもうあまりいませんね・・・・

音楽への思い入れが強すぎる演奏が多すぎると感じた時に聴くマリナーの指揮。
そしてアバドもそうしたところがありました。
楽譜どおりにちゃんと安心して聴ける、そんなマリナー卿が好きでした。

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マリナー卿、ありがとう。
倭国にも何度も来演いただき、かなり聴くことができました。

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倭国の富士🗻

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2024年4月 6日 (土)

フンパーディンク 「王様の子ども」 

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ひな祭りの頃の大井町の里山。

つるし飾りと富士。

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里山にある古民家には、さまざまな雛飾り。

古来より、親たちは子供の誕生と成長を喜び、幸福を願い、さまざまに祈ってきたんです。

受け継がれるひな人形や、五月飾り、新しい家族が築かれるとそこには、親から受け継いだものに加えて新しいものも追加されます。
倭国独自のこの風習と業界、ぜったいに受け継いでいってほしい。

愛すべきフンパーディンク(1854~1921)のオペラのひとつ。
「ヘンゼルとグレーテル」のみが大衆受けすることもあり超絶有名なフンパーディンクの唯一作品のようになってる。
しかし、ヘンゼルとグレーテルは楽劇と冠され、ワーグナーの影響をがちがちに受けた緻密なライトモティーフ技法によるムジークドラマなんです。
ほかのオペラ、といってもこの「王様の子ども」しか聴ける状況ではありませぬが、ここでも主導動機を元にした作曲技法と、簡明な旋律とに加え、マーラーと同世代ともいえる世紀末的な甘味な音楽の運びもうかがわれ、さらにシェーンベルクやベルクにも通じる、語って歌う手法の先駆けもある。

ヨーロッパでは近年、この作品の評価につながる重要な上演もいくつかあり、今回は映像DVDも楽しみましたので、音源と映像とで理解を深めることができました。

  フンパーディンク 歌劇「王様の子ども」

ヘンゼルとグレーテルは1891年の作曲で、そのあと、同じワーグナー信奉者であり友人でもあったユダヤ人、評論家・指揮者のハインリヒ・ポルゲスの委嘱で1894年に、この音楽劇を作曲することとなった。
台本は、ボルゲスの娘のエルザ・ポルゲス。
彼女は、父親の血を受け継いで熱心なワグネリアンとなり、ワグネリアンたちのサロンを主催するなど、なかなかの影響を与えた人物です。
結婚で、エルザ・バーンスタイン(ベルンシュタイン)の名前となる。
疾患で視力がほとんどなくなり、その才覚は劇作へと向かい、いくつかの文学作品や戯曲を創作。
そんななかで、父の勧めで音楽化されたのが「王様の子ども」です。

オペラとして作曲したかったフンパーディンクに対し、娘エルザ・ベルンシュタインはオペラ化は否定し、演奏会で上演できるメロドラマ形式のものを希望。
フンパーディンクはやむなくそうしたが、作曲者がすでに到達していた当時には前衛的な手法などは、オラトリオみたいなコンサート形式の枠には収まらず、オペラとしての在り方にこだわり、エルザを説得しました。
結果、原作者のエルザも同意して1907年にいまに聴かれるオペラとして再編されることとなったわけです。

1910年にメトロポリタンオペラで初演され、ドイツでは翌11年に初演。
アメリカで初演されたことろが面白いところですが、エルザ・ベルンシュタインは、ナチス台頭時、ユダヤ人であり、ともに視力障害のあった妹をドイツに残して置くことを是とせず渡米しなかった。
結果、姉妹共に収容所送りとなったが、「王様の子ども」の原作者であることがわかり、文化人などが送り込まれた寛容で緩い収容所施設に配置換えとなり生きながらえた。

フンパーディンクのオペラの原作であったことが救った命。
ベルンシュタインの妹は、収容所で病死してしまう。

こんな風に、メルヘンでありながら、あんがいと死の影のまとわりつくオペラが「王様の子ども」なんです。

  王様の子:テノール
  がちょう番の娘:ソプラノ
  魔女:メゾソプラノ
  吟遊詩人(ヴァイオリン弾き):バリトン
  木こり:バス
  ほうき作り:テノール
  ほうき作りの娘:若いソプラノ
  上級顧問官:バリトン
  宿屋の主人:バリトン
  宿屋の娘:メゾソプラノ
   ほか  

ほかにも町の人が多数で、音楽だけ聴いてると誰が誰やら混乱します。
映像で気軽に楽しめるようになり、こうした作品にも光があたるようになり、ほんとありがたい。

小さな国の郊外、そこには12羽のガチョウがいて、若い女性がそのお世話をしている。

第1幕

 若い女性は、魔女にこの地に束縛されていて、その魔女は人間たちの住む社会を憎んでいて、魔法で若い女性=がちょう番をしばりつけて、外の社会に出れないようにしている。
魔女は彼女に、ずっと痛むことのないパン、でもそれを半分食べると死んでしまうパンを作らせている。
魔女は蛇や虫の採集に出かけ、がちょう番はひとりきりになる。
そこへ、王の息子が父の元を飛び出し、冒険を求めて狩人の風体でやってくる。
ふたりはすぐに恋に落ちるが、彼女の頭にあった花の冠が風で飛ばされてしまう。
王子は、王冠を代わりにあげてしまい、一緒にここを出ようと言うが、彼女は魔女の封印が解けずにここを出ることすらできない。
業を煮やした王子は、王冠をそのままに、立ち去る。
まもなく、魔女が戻り、誰かが来たことを悟り、また別の魔法で呪縛する。

そこへ、吟遊詩人、木こり、ほうき職人がやってきて、賢明な彼女に、町を今後導く王を見つけ出して欲しいと頼む。
魔女は、明日の昼に最初に町の門をくぐった者が次の王になる、道化のような恰好をしているが、王冠に相応しい人物だと断定。
満足した木こりとほうき職人は町へと帰るが、吟遊詩人は窓の中に若い女性を見つけ、彼女は魔女に囚われていることと、今日若い狩人が来たことを話す。
それは王の息子とわかった吟遊詩人は、彼女と息子が結婚して町を統治すべきだと言う。
しかし、魔女は身分が違いすぎるとして、がちょう番の彼女の両親のことを語る。
絞首刑執行人の娘だった彼女の母親だが、若い領主に見初められ、ひとりの娘を生んだ。
それが違う男のように言う魔女だったが、すべてを悟った吟遊詩人は、母親と領主をよく知っていた、彼女が正当な家系の生まれであることを証言する。
これに勇気を得たがちょう番の彼女は、両親に感謝とここからの脱出の祈りをささげる。
すると魔法は解け、彼女は涙とともにそこを飛び出していく。

第2幕

町の宿屋と近くの広場。
人々は、どんな王様がやってくるのか歓迎しようと興奮状態に。
王の息子は、馬小屋で夜を過ごし、宿屋の娘に気に入られ食べ物や飲み物を出され、さらに迫られてしまう。
がちょう番の彼女が忘れられない王の息子は、さらなる放浪と、確かな跡取りとなる決意を固め、ここで職を得て修行しようとする。
ほうき職人の娘は、王の息子に、ほうきを売ろうとするが、彼はいち文無し、でも少女は彼と楽しく遊びます。
そこへ、町の議員たちが集結し、ほうき職人は、魔女の話しをさらに大きく盛ってみんなに話す。
そんな大げさな王の入場に疑念をはさみ、王にはかっこだけ、人形のような姿を求めるのか?と疑問を呈します。
町の人々は、そんな言葉に怒りを覚え、さらには宿屋の娘は食事代を踏み倒した男よ、と非難し、人々は泥棒野郎と非難し広場は大混乱となる。
 そのとき、約束の正午となり、門が開くと、黄金の冠をかぶったがちょう番の娘が、吟遊詩人と彼女のがちょうたちと登場。
王の息子は大いに喜び、彼女にひざまずき、彼女こそが女王と呼ぶ。
そして吟遊詩人は、彼らこそがこの町の運命の統率者なのだと宣言。
これに、人々は嘲笑し、こん棒や石で攻撃し、若いふたりを追い出してしまう・・・・
誰もいなくなった広場には、ほうき職人の娘と老いた上級審議官。
涙を流す彼女になぜかと問うと、彼らが王様と王女様だったと語る。。。。

第3幕

やがて冬が来て、雪も積もりました。
この間、魔女は嘘の予言をした罪で火あぶりの刑となり、吟遊詩人も投獄されさんざん暴力を受け満足に歩けなくなってしまった。
荒んだかつて魔女の住んだ場所で、がちょうの世話をする吟遊詩人は、悲しみにふさいでいる。
 そこへ、木こりとほうき職人が、多くの子どもたちをつれてやってくる。
町がばらばらになってしまい、荒廃し、子供たちは大人を信用しなくなり反乱が起きているので、町に帰ってきて欲しいと語る。
そんな悪い大人を突き飛ばして、子供たちは、大人たちが間違っていて、王と王女を探し出すのにどうか自分たちを指揮して欲しいと懇願。
吟遊詩人は、子供たちを伴って雪山へ向かう。
 木こりとほうき職人は、魔女のいた小屋に入り、暖を取る。
そこへ放浪に疲れ切った王の息子とがちょう番の娘が抱え合いながらやってくる。
山の上の洞窟にいたが、食べ物がつきて、ここへ避難してきたのだ。
衰弱した彼女を思い、王の息子は健気に振る舞い、泣きたくなるほど悲しく美しい二重唱となる。
小屋のドアをたたき、そこにいた木こりとほうき屋に食料を求め、王冠まで差出し、得たのは小屋にあったパン。
ふたりでパンを分け合い、お互いに手を伸ばし合い、愛を確かめあいながら死んでしまう・・・・
 そこへ、手遅れながら、吟遊詩人と子供たちが戻ってきて、木こりたちが、王冠を持っていることを見つけ、詩人は激怒し、王冠を奪い返し、彼らを追い出します。
子どもたちが、ふたりの亡がらを見つけ、一同は深い悲しみに包まれます。
吟遊新人の歌とともにこの悲しみに満ちたオペラは幕となります。


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  王様の子:トマス・モーザー
  がちょう番の娘:ダグマール・シュレンベルガー
  魔女:マリリン・シュミューゲ
  吟遊詩人(ヴァイオリン弾き):ディートリヒ・ヘンシェル
  木こり:アンドレアス・コーン
  ほうき作り:ハインリヒ・ウェーバー
 
 ファビオ・ルイージ指揮 バイエルン放送管弦楽団

             バイエルン放送合唱団
             ミュンヘン少年合唱団

        (1996.3 @ミュンヘン)

ずいぶんと前に買っていたCDだけれども、後段のDVDで馴染んでから聴いて、それはまた素晴らしい演奏だと思い、何度も聴いている。
90年代後半から、ドイツを中心に活躍し始めたルイージは、こうしたドイツものと並んで、ベルカント系のオペラをグルベローヴァとともにたくさん録音していた。
緻密な音楽造りと、劇場感覚あふれる雰囲気作りは、才覚以上に天性のものだと感じます。
リリックテノールからドラマチックテノールに変身したモーザーの、トリスタンのような歌唱は聴きごたえがあり、相方のシュレンベルガーも同様にワーグナーにもふさわしい声。
ヘンシェルの味のある吟遊詩人も実によろしい。

EMIには、ハインツ・ワルベルクの指揮による録音もあり、ネットで視聴することができた。
ダラポッツァのタイトルロールがやや甘すぎだが、ドナートとプライ、シュヴァルツにリッダーブッシュと私のような世代には夢のような布陣だった。
今度、探して手にいれなくては・・・・・

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このオペラ、3時間あまりと長いけれど、音楽は簡明でわかりやすく、馴染みやすい。
そしてともかく美しく、大きな音やフォルても少なめで、夜遅くに聴いても安心だぜ。

結構な悲しいオペラなので、メルヘンを期待すると裏切られるが、ドイツのメルヘンには人間の持つ暗い側面もよく表出されているので、この物語りにいろんな比喩やメッセージを読み解くのもまた深みがあるというもの。

大衆は阿りやすく、一定の方向に流されがちで、真実の声は埋没してしまう。
子どもの目におおかたの狂いはなく、濁りのない眼差しは本当のことを見抜く。

全体を通じて出てくるモティーフが詰まった幕開きに相応しい快活な1幕前奏曲。
祝祭的な、まるでマイスタージンガーの歌合戦の始まりのような第2幕の前奏。
時の流れと、魔女や吟遊詩人たちに起こった悲劇を語り、それがやがて若いふたりの悲しい結末を予見させる。あまりにも切ない3幕の前奏。
これら3つのオーケストラ部分を聴くだけでも、フンパーディンクの音楽の素晴らしさがわかるというもの。
時おり入る、バイオリンソロがこれがまた美しくも儚い悲しさがある。
オランダオペラの舞台では、ステージにヴァイオリン奏者が実際に出てきて、愛の象徴としたこのソロ場面がわかりやすく引立っていたのだ。

ヘンゼルとグレーテルでのおっかないけど、ユーモアあふれる魔女は、ここでは悪い役というよりは、かつて誤解され迫害を受けたジプシーのような存在と感じられ、彼女も阻害された不幸な存在として描かれている。
この役に、DVDではドリス・ゾッフェル、ワルベルク盤ではハンナ・シュヴァルツが歌っている。

わたしがとても好きな場所は、王子のがちょう姫との出会いの二重唱の可愛さ。
1幕最後でのがちょう姫の両親への感謝の歌、ファター、ムッターと歌う場面が涙が出るほどに愛らしい・・・
そして3幕前奏の物悲しい美しさに加えて、死を前にした若い二人の泣けるほど美しい二重唱。
トリスタンの世界を超越した、世紀末感あふれるロマンティシズムの極致で、それがフンパーディンクの筆致で無垢な世界へと昇華している。
くり返しいいます、とんでもなく美しく哀しい・・・

ただ、このふたりの悲しみの死がピアニシモで閉じるが、そのあとがまだオペラの続きとしてあったことが、自分にはちょっと残念だった。
そこで幕を閉じずに、吟遊詩人と木こりたちのクダリがあったことで、泣いてた自分がやや虚しくなる。
最後の吟遊詩人のバリトンの歌や、子供たちの合唱には心惹かれますが・・・・
このあたり、音源としてではなく、劇場や映像で見るとそのように感じる方もいるのではと。

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  王様の子:ダニエル・ベーレ
  がちょう番の娘:オルガ・クルチンスカ
  魔女:ドリス・ゾッフェル
  吟遊詩人(ヴァイオリン弾き):ヨゼフ・ヴァグナー
  木こり:サム・カール
  ほうき作り:ミヒャエル・プフルム

  ヴァイオリン奏者(愛):カミュ・ジュベール

 
 マルク・アルブレヒト指揮 オランダ・フィルハーモニー管弦楽団

              オランダ国立歌劇場合唱団
              アムステルダム少年少女合唱団

     演出:クリストフ・ロイ


           (2022.10 @アムステルダム)

スタイリッシュでシンプルなロイの演出とその仲間たちの舞台は、過剰な読み替えの少なく、わかりやすく、でもその訴えかけるドラマ性は強い。

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簡潔な中に、見事なまでの、この作品の確信に切り込む演出解釈は、無駄なことをせずとも誰しもがわかり、納得できるものだ。
ホワイトを基調に、ふたりの主人公も純白な衣装で、まさに無垢なふたりを象徴。
四季の移ろいも、このオペラの肝であるが、それをダンサーたちに表出させ、彼らダンサーたちは、ふたりの主人公の心象をときに憐れむようにして寄り添い、客観視しながら舞台に存在する。
町外れにある魔女の館は、ほんとに小さな小屋で、この小屋に住まう魔女、また最後は小屋で暖をとる悪人たちの根城としてわかりやすい存在。
また大きな木が常にあり、町の中心として機能したり、若いふたりが木の下で息絶えるのを見守る役目であったりする。

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このような簡明な装置の元で、世間知らずの若いふたりと、彼らを理解する子供たち、すべてを知り同情と理性にあふれた吟遊詩人。
対する凡庸たる市民と、その代表である木こりやほうき職人。
これらの対比が鮮やかな演出で、魔女さんは、どこか客観的な存在に描かれ、そんなに悪としての存在でもなく、気の毒な存在として描かれている。
魔女と吟遊詩人が、追放されいたぶられるシーンがリアルに描かれているのも、舞台以上に映像作品を意識したものと実感。

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この役を得意とするベーレの王子役が見栄えも含めて、そのリリックで甘い声と物悲しさ、役柄を手中にした歌と演技とで素晴らしい。
クルチンスカのがちょう姫も、好きです。
素朴さ、純情さがありつつ、積極性も歌いこむこの役に申し分ないです。
そして、ベテランのゾッフェルの魔女も貫禄充分。
ヴァグナーの孤高の吟遊詩人も見事なもので、暖かなバリトンは、ワーグナーの諸役も得意にしている。

オランダオペラを率いていたアルブレヒトの積極かつ熱意にあふれた指揮も素晴らしい。
後期ロマン派の作品、とくにオペラを積極的に取り上げたアルブレヒトの意匠は、後任のヴィオッテイに引き継がれてます。
最近の、コルンゴルト、シュレーカーなどのオペラに加え、このアルブレヒトのフンパーディンクは特筆すべき出来栄えかと思います。
この作曲家のワーグナーの亜流的な存在感を越えて、その先の新ウィーン楽派や表現楽派の領域までも達するようなフンパーディンクの側面を垣間見せてくれる、そんな切れ込みも深い解釈をみせた演奏です。

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雪降るなかの、ふたりの悲しすぎる死。
そのあと憎しみ覚える木こりたちも登場するが、吟遊詩人の愛に満ちた告別と悔恨の歌。
まるでワーグナーの楽劇の最後を閉じるようなバリトンの歌は素晴らしい。
「王のこどもたち」と何度も歌う子供たちの歌。
舞台は暗くなっていきました・・・・

  ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

このオペラには、今回取り上げたもの以外にも、いくつかの録音や映像があり確認しました。

・ワルベルク盤 前述のとおり、なんといってもH・プライがすばらしく、ドナートのがちょう姫がかわいい
・ヴァイグレ盤 ここでもベーレが王子役、フランクフルトオペラでのヴァイグレの活躍とその豊富なレパートリーには驚きだ
・メッツマッハー盤 ベルリン・ドイツ響、フォークトやバンゼ、聴いてみたいキャスト
・A.ジョルダン盤  モンペリエ・オペラ カウフマンが主役
・メッツマッハー映像版 若いカウフマンが、いまほど重くなくよろしい。
 チューリヒでの上演で、学校の実験室や学園祭に置き換えた舞台が深刻さゼロでやりすぎだった。

倭国でも、このオペラは倭国人の共感をえるものと思います。
いつしか上演されますことを望みます。

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2024年3月31日 (日)

バッハ マタイ受難曲 ヨッフム指揮

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いま咲き始めたソメイヨシノではなく、こちらは少し前の河津桜。

富士の見える丘があるのは、今いる町の隣の町です。

丹沢山脈と大山も大きくみえるステキな場所。

どんなこと、いろんな辛いことがあっても季節は巡ってくる。

春がやってきて、宗教に関係はなくとも、復活祭の日が来ると聴きたくなる音楽。

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  バッハ マタイ受難曲 BWV244

       福音史家:エルンスト・ヘフリガー 
   イエス:ワルター・ベリー
   ペテロ:レオ・ケテラース

   アルト:マルガ・ヘフゲン  
   ソプラノ:アグネス・ギーベル
   テノール:ヨン・ファン・ケステレン  
   バス:フランツ・クラス
  
  オイゲン・ヨッフム指揮 
    アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
    オランダ放送合唱団
    アムステルダム聖ウィリブロード教会少年合唱隊

        (1965.11 @コンセルトヘボウ アムステルダム)

わたしのような世代にとって、マタイ受難曲はかなり特別な存在であり、カール・リヒターの演奏こそが絶対的な存在でありました。

音楽聴き始めの少年にとって、レコ芸のみが音楽知識と情報の根源だったので、評論家諸氏が、「マタイ」という音楽の素晴らしさを連呼し、リヒターのアルフィーフ盤が基本ベースとして語られることが多かった。
当然にマタイを理解するには、東洋の中学生には無理なはなしで、その音楽のみは、リヒターのサンプラーレコードでの最終合唱の場面にみを知るという状況でした。

そんな私に、「バッハのマタイ」を知らしめたのは、ヘルムート・リリングが手兵のシュトットガルト・ゲヒンガー・カントライを率いて来日し、NHKでそのマタイが放送されたときだ。
アダルペルト・クラウスのエヴァンゲリストも鮮烈だったし、なにより聖書を読む福音史家という存在そのものが興味の大いなる対象となった。
ミッション系の学校にいたので、聖書と読み比べ、「マタイによる福音書」の受難の場を実際に読んで、バッハがどう音楽にして、共感して、そこに合唱やアリアをいかにつけていって、感動的な大きな作品をつむいでいったか、そのあたりをよく調べ、勉強もしました。

そこで初めて買ったマタイのレコードが、リヒターではなく「ヨッフムのマタイ」でした。
理由は簡単、フィリップスが宗教音楽の廉価シリーズを出しまして、このマタイは1枚1,800円の4枚組ということで手の出しやすい価格だったからなのです。
このジャケット、レンブラントの「キリストの昇架」を用いていて、オランダつながりでこの演奏にも似た落ち着きと、ほの暗さを感じる秀逸なものだった。
タワレコの復刻CDを入手したが、ここではデッカの濃青と赤のレーベル刻印があり、イメージ的にちょっと残念。

復刻されたその音は、65年という年代を感じさせる、丸っこいもこもこ感もあり、その点はレコードで聴いていた心象のそのままで、もっと刷新された音を期待したものの、でもやはり安心したというのが正直なところでした。

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メンゲルベルク以来の伝統あるコンセルトヘボウの「マタイ」

同楽団の演奏アーカイブを調べてみました。
遡ると1891年からマタイの演奏歴はありました。
作曲家だったユリウス・レントゲンからの記録、メンゲルベルクは1899年から登場し、アーベントロートなどの登場もありますが、1944年までずっと続きます。
その後は、クレンペラーをはさんで、1947年からはベイヌムとなり亡くなる58年まで。
ここでハイティンクが登場するかと思いきや、ベイヌムの追悼演奏会で、マタイの最終合唱曲とブルックナーの8番を指揮したのみでした。
こうしたアーカイブを眺めるのはほんと楽しいです。
メンゲルベルク、ベイヌムのあとを継いだのはオイゲン・ヨッフムです。
ヨッフムは、1961年から1972年まで、コンセルトヘボウのマタイの指揮者となりました。
それ以降の指揮者たちは、ライトナー、ノーベル、アーノンクール、コープマン、フェルドホーフェン、シャイー、ヘルヴェッヘ、ノリントン、I・フィッシャー、I・ボルトン、ブットと年替わりで変わってます。

かつてのようなマタイの絶対的な指揮者がコンセルトヘボウにはもういない、ということでありましょう。
この構図とまったく同じに思えたのが、「バイロイトのパルジファル」です。
クナッパーツブッシュの絶対的な存在のあと、ブーレーズと、ここでもまたヨッフムが続いたわけで、その後は演出も長く続くものはなく、指揮者もその演出によって変わるようになりました。

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ヨッフムの滋味あふれるバッハ。
ヨッフムはバッハの4つの宗教作品をすべて録音しました。
オーケストラもコンセルトハボウとバイエルンというヨッフムにもっとも親しいオケであり、かつブルックナーを指揮するときの手兵でもありました。

古楽器や現代楽器でも古楽奏法によるバッハに耳が慣れてしまった自分。
従来奏法による、フルオケによる演奏は、なんだかとても懐かしく、むかしの家のタイルの風呂にバスクリンを入れて入ったような、そんな安心感と懐かしさを感じます。
変な例えですが、むかしのお風呂はよく響く残響豊かなもので、いまのお風呂はデッドな響きだと思ってます。
子どもの頃、お湯をはらない風呂場にラジカセを持ち込んで楽しんだものです。

話しは脱線しましたが、そんな懐かしい温もりあるマタイの演奏。
リヒターのような厳しさはなく、温和な雰囲気とイエスへの愛情と穏やかな信仰心の裏付けのある誠実な演奏。
ドイツの街々には宗派は問わず、教会があり、街のいたるところに磔刑のイエスが立ったり、宗教画が掲げられたりします。
そんな日常風景が似合う、そこで聴かれているようなマタイだとも思いました。

ヨッフムの温和で、全体を包み込むような優しいタッチの音楽づくりは、健全きわまりないバッハ演奏にふさわしく、ドイツ・ヨーロッパのどこにでもある教会から派生した音楽であることを強く思わせます。

歌手の平均値が高いことも、毎年同じメンバーできっと演奏してきたルーテイン感を通り抜けた完璧な均一な色合いがあることでわかります。
なんといっても、ヘフリガー。
リヒター盤での禁欲的な存在から、少し踏み込んで、人間味を感じる豊かさと、完璧なまでのディクション。
見事の一言につきるし、過剰でない節度を保った感情表現もヨッフムの音楽姿勢によくあってます。
同じことがベリーにもいえて、歌のうまいベリーがかなり神妙に感じたりも。
ギーベル、ヘフゲンといった女声陣も慎ましくも感動的な歌唱で、泣かせます。

若き日より聴きなじんできた音楽家の重なる訃報。
自身でいえば、介護に明け暮れながらも、自宅で仕事ができることのありがたさ。
なによりも、身近なところで、人間の老いの哀しみと希望の見出し方など・・・・いろんな経験と発見がある喜び。
そんななかで聴いた、耳に馴染みある「ヨッフムのマタイ」がともかくありがたかったし、変わりなく耳に響いたことがうれしかった。

ペテロの否認のあと「Erbarme dich」をまじまじと聴く、そして涙す・・・・
ロマンティックに傾くヴァイオリンソロ、遠景のように遠くに響くオーケストラ、感情表現少なめの淡々としたヘフゲンのソロ。
いまではありえない、再現のしようもない、60年代のヨーロッパのバッハ。

世界は東西陣営の時代から、大国陣営の時代、さらにはいまや分裂・分断により多極化の時代となった。
各地で起きてる戦争行為は、同じ連中のもので、次の大戦がもはやサイレントに起きているとも思われる。
こんな世界でも、音楽はかわりなく響き、あらゆる垣根なく、世界の人間に等しく感動的に響く。
ことにバッハの音楽はそのような存在だと思いたい・・・・

Nakai

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2024年3月24日 (日)

マウリツィオ・ポリーニを偲んで

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深夜にツィッター(X)を眺めていたら愕然としました。

ポリーニの訃報。

しばらく前から体調を壊していて、コンサートもキャンセルしていたばかり、ミラノの自宅で3月23日に亡くなりました。

享年82歳。

私にとってのポリーニは、朋友アバドがあっての存在でもありましたので、とても悲しいです。
アバドが10年前に80歳で去り、ポリーニがその10年後に82歳で旅立つ・・・
ともにミラノ生まれでした。

高校時代にポリーニを知り、もう50年が経過したけれど、ポリーニは数多いピアニストのなかでずっとトップランナーだった。

リサイタルで聴くことはできなかったのですが、コンサートでは2回。
小澤さんと新日フィルに来演して、シェーンベルクの協奏曲。
アバドとルツェルンとともに、ブラームスの2番。
脳裏に焼き付くピアノに向かい、高い集中力でもって演奏するその姿。
アバドも、小澤さんも、そしてポリーニもいなくなってしまった。

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 ショパン 練習曲集 (1972)

初めて買ったポリーニのレコード。
練習曲全曲を聴いたのもこれが初めて。
ストラヴィンスキーとプロコフィエフのDGへの初録音は、ずっと後で聴くことになりますが、ここでのショパンの音楽そのもの素晴らしさにも感激。
鋼のような強靭な打鍵と鮮やかな技巧による精密かつ彫像のようなポリーニのピアノ。
連日、青白いような情熱の炎を自分的にたぎらせて聴いたことも、わが青春の思い出であります。
当時は、柔のアシュケナージ、鋼のポリーニのイメージで、人気を二分しておりました。

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   ショパン 前奏曲集 (1974)

まだまだショパン初心者だった若い頃の自分には、続々と出てくるポリーニのショパンは、その作品理解を深めるとともに、その完璧な演奏はその曲のひとつの指標となったのでした。
24の曲が全体を通してみるとしっかりとした構成感につらぬかれているし、それぞれに詩的な豊さや歌もある。
ポロネーズ集もこの頃の大切な1枚です。

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  シューマン 幻想曲 (1973)

  シューベルト さすらい人幻想曲 (1973)

ともに、それぞれのソナタ作品も収録。
ファンタジーと名をなすロマン派ならではの作品を、ポリーニは明晰に、明るい音色でもって弾き、ポリーニがイタリアの血を引くピアニストであることを認識できる。
一方で、こうした作品でも強靭な響きはポリーニならでは。
ほのかに感じる陰りも。

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  ブラームス ピアノ協奏曲第2番 (1976)

もう幸せしか感じないイタリアの陽光とウィーンの甘味さ感じる演奏。
一方で、存外に熱くもあり、気ごころしれたアバドとのコンビが、スタジオでもライブ感みなぎらせていたことがわかる。

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  バルトーク ピアノ協奏曲第2番  (1977)

ついにシカゴへ!
当時、これが出たとき、そんな風に思った。
マーラーでアバドと良好な関係をお築きあげていたシカゴの共演。
ときにオケの一員とも思われるくらいに打楽器的な様相さえ呈するすさまじいばかりのポリーニのピアノ。
このふたりの朋友の最高傑作だと思う。

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 ノーノ 力と光と波のように (1973)

ジャケットは借り物です。
レコード時代、前衛ということで、アバドが珍しくバイエルンと録音したというのに、この派手なジャケットに手がでなかった。
ノーノ、ポリーニ、アバドという3人が共感しあってのもの。
コミュニストとしてのノーノの当時の思いは、いまや化石化しているともいえるが、電子音やテープ音、トーンクラスターなども当時の前衛を今聴くのも懐かしさを感じる。
それこそ、打楽器としてのピアノは、ポリーニあってのもの。
今年1月、52年前に初演されたミラノのスカラ座で、メッツマッハーの指揮で演奏され、わたしも録音した。
おりしもそれは、ノーノの生誕100年とアバド没後10年のための演奏でした。
そのあとポリーニが逝ってしまうなんて・・・・

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            スカラ座のHPより


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  ベートヴェン 後期ピアノソナタ集 (1975~77)

若い頃にいきなり後期作品を一挙に録音。
ここでも冴えわたるポリーニの明晰極まりない音。
澄み切ったベートヴェンの後期様式に、イタリアの光が当てられたようで、そこにはまたミケランジェロの彫像のような力強さと、贅肉のとれた無駄の一切ない引き締まったイメージを感じさせる。
バックハウスのベートーヴェンばかりを聴いていた自分には、ヴェールが1枚はがされたような気がしたものだ。
協奏曲は、ベームとではなく、この頃にアバドとシカゴあたりで録音して欲しかったものだ。

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イギリスのクラシック専門チャンネルの訃報ツィート。

先月の小澤さんの訃報に続いて、こうも世界に音楽家の悲しみの知らせが駆け巡るとは・・・

ショパンコンクールで彗星のごとく現れ、その後名前を消したかのように、楽壇から姿を消したポリーニ。
その後、70年代に突如として出現して、年代的にも音楽をどんどん吸収していった自分のピアノ分野での指標となったのがポリーニ。
2000年以降はあまり聴かなくなってしまいましたが、ずっと聴いてきたポリーニのピアノ。

ポリーニの前は、私世代では、バックハウス、ケンプ、ルービンシュタイン、リヒテルなど巨匠の時代でした。
そこに出てきたのが、アルゲリッチ、アシュケナージ、バレンボイム、そしてポリーニでした。
演奏スタイルのありかた、聴き方も変化していくなかで、ポリーニは巨匠ではなく修道僧にも似た音楽の探究者だったと思います。
よりヒューマンなアルゲリッチともぜんぜん違います。

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2009年にルイージとドレスデンの演奏会の曲間に、ホールの外に深呼吸しに出たら、どうみてもポリーニさんに遭遇。
一服されてました。
ツァラトゥストラとアルペンというシュトラス大会、ポリーニさんも聴いていたんです。

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スカラ座のHPは、ポリーニの追悼と変わってました。

喝采を受けるポリーニの姿、いい写真です。

天国でアバド兄貴とブラームスをやろうよ、と語り合ってるのかな・・・

マウリツィオ・ポリーニさんの魂が安らかでありますこと、お祈りいたします。

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2024年3月14日 (木)

小澤征爾さんを偲んで ③

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夏の音楽祭のタングルウッド、小澤さんの名前を冠したホール。

雪も残る場所に、小澤さんを悼む献花台が・・・・

泣けます。

ボストン交響楽団の音楽監督として、1973年~2002年までのほぼ30年間、ミュンシュに次ぐボストン響の第2黄金期を築きました。

なんども書きますが、サンフランシスコと一時は掛け持ちで、アメリカの西海岸と東とでメジャーオケの指揮者を務めたことが、倭国人としてほんとうに誇りに思いました。
倭国が戦争で戦ったアメリカのメジャーオケの指揮者に。
戦後30年も経ずしてオケの優秀な導き手となってしまった。
アメリカの寛容さとともに、西洋音楽の世界にたすき一本で飛びこみ、成功を勝ち取った小澤さんの胆力をこそ最大限に褒めるべきでしょう。

ここにある白い上っ張りのような上下のスーツ。
当時のクラシック業界では極めて異例だったかと思います。
アメリカとフランスだから受け入れられた、クラシック業界の型破り的な存在が小澤さんで、いまこそ思えば、そんな姿も心から誇らしく感じます。
倭国が誇るもうひとり、あられチャンやドラゴンボールの鳥山明さんの訃報にも驚いたばかり。
世界で、その名を言えばわかる倭国人のともに代表格。
いまこそ、政府はおふたりに、国民栄誉賞を与えるべきだ!

「小澤&ボストン」

たくさんの名盤から、忘れえない音盤を。

ボストン響はRCAレーベルの専属だったので、小澤さんとボストンとの初録音は69年の「カルミナ・ブラーナ」と「火の鳥」「ペトルーシュカ」。
ペトルーシュカは唯一の録音なので貴重だし、カルミナ・ブラーナでの小澤さんのリズム感抜群の若さ、マッチョなミルンズのバリトンなんかも聴きもの。
リマスターで再発して欲しいです。

その後、ボストンはDGに録音するようになり、小澤さんはEMIに録音していたので、73年の音楽監督就任までは、DGはスタインバーグ、ティルソン・トーマス、アバドの指揮でボストン録音。
ホールの特性も活かし、重厚感とヨーロッパ風な落ち着きあるDG録音は極めて新鮮だった。

①ベルリオーズ

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   幻想交響曲 1973年

38歳の小澤さん。
ベルリオーズの本来持つ音楽、さわやかさと抒情味、小澤ならではの豊かなリズム感。
スピード感もあるしなやかさも誰の幻想にもないものだった。

いま聴いても爽快でかっこいい幻想だ。

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    ファウストの劫罰 1973年

幻想と同じ年に録音。
声楽を伴った大作を、てきぱきと、演奏者側にとっても、聴き手にとっても簡明でわかりやすい解釈をほどこす指揮者。
レコード時代は3枚組の大作が、CDでは2枚で、あっという間に聴くことができる。
まさに劇的なドラマ感を伴って2時間ちょいが、ほんと短く感じる見事な指揮。
当時まだ、ミュンシュの指揮を知っている楽員も多数いたはずだが、剛毅さとは違う、ベルリオーズの輝かしさを引き出す小澤には、そうした楽員さんもほれ込んだことだろう。
ただタングルウッドの合唱団の精度は今聴くとやや厳しい。
 新日フィルでこの作品を聴いたときは、倭国語での演奏だったこともいまや懐かしい。

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   レクイエム (1993年)

DGへの一連のベルリオーズから20年。
得意の作品で、若い頃から何度も取り上げていた。
シンバル10、ティンパニ10人、大太鼓4、バンダ4組・・・・、途方もなくバカらしい巨大な編成
初聴きがFMで放送された小澤&ベルリン・フィルのライブで、大音響を期待して聴いたが、そんなシーンは全体の一部で、全編に死を悼む、歌心とリリシズムにあふれた作品とわかったのも、小澤さんの指揮あってのものだった。
円熟期を迎えた小澤さんのベルリオーズは、この時期にまた幻想やファウスト、ロミオをボストンで再録音して欲しかったと思わせる。
こけおどし的な大音響におぼれない、真摯な姿勢でベルリオーズの抒情性を引き出した。
ロミオとジュリエットは実は持ってません・・・・

DGというのは不思議なレーベルで、ベルリオーズ全集を小澤でやりかけて、途中で止まってバレンボイムに変り、それもまた止まってレヴァインに、それもまた完結しなかった。
ボストンのネット放送で、ベアトリスとベネディクトが流されてましたので、こうした録音もなされなかったのが残念だし、今井信子さんとハロルドも録音して欲しかった。
大きな所帯のレーベルだと、レパートリーがかぶって、全集録音完成がなかなかままならないものだ。
小澤&ボストンで残せなかったもの、ベルリオーズとベートヴェン、ブラームスの全集などです。

②マーラー

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  「千人の交響曲」  (1980年)

77年のDGへの1番が、若やいだ眩しさ感じる演奏で、このままマーラーシリーズに突入するのではと期待したが、それは持ち越され、フィリップスレーベルへと引き継がれ、いきなり8番!
この時期、小澤さんは、巨大な作品のスペシャリストとしてパリとベルリンでさかんに取り上げ、ボストンではライブ録音につながりました。
ここでも大曲を豊かな構成感でもって、わかりやすく聴かせるツボを押さえた小澤ならではの小澤節が随所に聴かれる。
第2部の感動的な高揚感は、すべての奏者・歌手の一体感を感じます。
みんなが小澤の棒に夢中になってる様子がわかる。

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   交響曲第2番「復活」 (1986年)

小澤の復活、ことあるごとに指揮してきた勝負曲だと思います。
自信と確信に満ちた演奏は、極めて感動的でどこにもブレのないまっすぐな演奏で、ラストではじっと聴いていられないくらいに感動してしまう「復活」だ。
いくつかある「小澤の復活」、この際みんな聴いてみたいと思っている。

1980~1993年までかかった小澤のマーラー全集。
フィリップスレーベルはよくぞ、最後まで完結してくれたと思うし、ボストン響の高性能ぶりと美しい音色、ホールのプレゼンスのよさ、倭国人としておおいに共感できるしなやかなマーラーが残されました。
10番アダージョまで含めて、大切なマーラー全集のひとつですが、「大地の歌」は残念です。

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2002年に最後の定期でとりあげたマーラーの第9は、NHKで放映され、わたしも録画して大切にしてます。
感動的な第9で、濃密なバーンスタインとはまったく違う、われわれ倭国人好みの和風だしのような味付けのマーラーは、小澤さんの侘び寂様式のなせる技かと。
それをボストン響から引き出しているところがすごい。

以上、ベルリオーズとマーラーが、小澤さんとボストン響の最良の演奏だと思うし、小澤さんのもっとも得意なレパートリーじゃなかったかと思う。

③R.シュトラウス

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 「英雄の生涯」「ツァラトゥストラはかく語りき」 (1981年)

小澤さんの初の本格的なシュトラウス作品。
デジタル初期で、レコード時代末期の発売は、レコード1枚特価で2000円で購入。
あまりの録音の素晴らしさと、小澤の小俣の切れ上がったかのようなカッコいいシュトラウスサウンドに痺れまくった。
同じく、レコードで親しんできたメータの重厚で鮮明すぎる演奏とも違う意味で、鮮やかかつ、すべてが明快ですみずみまで聴こえる見晴らしのいいシュトラウスだった。
2枚のレコードがCDでは廉価になり、1枚に収まって1000円を切るようになり、それのみがショックだった。
ともに、ボストン時代の朋友、シルヴァースタインのヴァイオリンが鮮やかでありました。

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 「ドン・キホーテ」 (1984年)

CD初期に買った1枚で、タスキ付きで貼りました。
タスキもまたうまく溶け込んだようなジャケットイメージだったので。
ロストロポーヴィチとカラヤンのレコードで刷りこみだったこの曲を、東洋人のふたりが取り組んだ1枚は、濃密なカラヤン盤のようでなく、さらりとした筆致で淡々と描いた浮世絵みたいなドン・キホーテだった。
この頃の小澤さんを描いたドキュメンタリーで、ヨーヨーマと語りあうシーンがあり、アジア人同士、この先は映さないで欲しいというような、音楽と人種(?)に触れていくシーンがあった。
その先のことは、語らずもがなで、自分のなかでも、西洋音楽をどう受け止めて楽しんでいくのか、という投げかけにもなり、小澤さんが戦ってきたもの、勝ち得たものの大きさを感じた次第なのです。

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  楽劇「エレクトラ」 (1988年)

ダングルウッドでは、コンサートオペラの形式演奏も多く、きっとそこで演奏されたボストン響のオペラ録音。
このおどろおどろしいけれど、実はシュトラウスの高度な作曲技法と交響詩で培った巧みなオーケストレーション、そして歌をオケの一部ともしてしまうとうな巧みな歌の数々。
このあたりを小澤さんは、見事に解析して明快に解釈してみせた。
オペラティックな要素は弱いけれど、一気呵成のドラマ感も巧みに表出。
ボストン響の巧さと軽やかさ、ベーレンスの軽やかでもあるタイトルロール、録音のよさ・・・数あるエレクトラのなかでも名演中の名演と思っている。

④チャイコフスキー

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 交響曲第5番と6番 (1977年、1986年)

なんども繰り返し録音を重ねたチャイコフスキーの後期の3つの交響曲。
ボストンとのこのふたつの録音が、いちばん安定しているし、完璧な演奏だった。
DGの5番は、輝かしく美しい。
このときに3つ全部録音してほしかったし、1~3番も残して欲しかったものだ。
悲愴が大好きだったと思う小澤さん、パリ管、サイトウキネンでも録音したし、ライブでも複数音源があります。

三大バレエもボストンと録音。
眠りの森だけは組曲となりましたが、シンフォニックなかっちりとした「白鳥の湖」は聴く音楽としては完璧な出来栄えかと思う。
協奏曲も複数録音ありますが、若い頃のものを聴いてみたい。

でも「小澤のチャイコフスキー」の真骨頂はふたつのオペラにあります。

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 「スペードの女王」 (1991年)

オネーギンとスペードの女王のふたつのオペラで持って、小澤さんは、欧米各地のハウスを席巻したと言っていい。
ボストンでのスペードの女王は、この演奏の模範的な演奏で、ロシア的でない、欧風でもない、ピュアなチャイコフスキーのオペラスタイルを打ち立てたものだと思う。
ふだんオペラのピットに入らないボストンだからこそ、ということもあり、オネーギンもこのコンビでやって欲しかった。
小澤さんのチャイコフスキーのオペラには、フレーニが必ず共演していたこともフレーニファンとしてはうれしいことだ。
この演奏を聴くと、ボストン響がほんとうに優秀なオケだと思うし、その音色がともかく美しいこともわかります。

⑤ストラヴィンスキー

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 三大バレエ

小澤2度目の春の祭典は、アナログ時代最末期の1979年の録音。
学生時代のことだったが、めちゃくちゃ録音がよかったし、ボストンを完全に手中に納めた小澤さんの指揮ぶりが小気味よさと爆発力の兼合いがバツグンで、痺れるような演奏だった。
シカゴとの若き日の演奏よりも大人な演奏。

ペトルーシュカは、先に触れた通りだが、組曲でのボストンとの初期録音の「火の鳥」は、小澤さんの得意曲で、パリ管との全曲盤に続いてボストンとも1983年に全曲盤を再録音して、その堂に入った落ち着きある演奏は美しさも感じるものだった。
しかしながら、パリ管とのほうが、ずっとイケてると思う。

⑥フランス系

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 ラヴェル 管弦楽曲集 (1974年)

ボレロやスペイン狂詩曲の1枚に続いて、いきなり4枚組の全集が出たのが1975年で、その前年の録音。
ラヴェルの生誕100年にDGが小澤にまかせた記念碑的な全集。
オペラがこのときに残されなかったのが残念だが、わたしは、新日で同時期に小澤さんのラヴェルをかなり聴きました。
子供の魔法も、コンサート形式で聴きましたし、武満徹作品の初演との組み合わせも聴きました。
70年代後半から80年代、小澤さんの一番輝いていた時期を聴けたことがありがたい。


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 フランクとプーランク (1991年)

メインのフランクの交響曲もいいが、ややこじんまりとしすぎ。
むしろプーランクがすばらしくて、小粋さとしゃれっ気が、小澤さんがプーランクのスペシャリストであったことがよくわかる。
スタバト・マーテルとグローリアも極めてかっこよくて、DGには、そのままプーランクのオペラなども続けて欲しかったと思います。

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     「パリの喜び」「スペイン」「ミニヨン」「ファウスト」(1986,7年)

フランス音楽の華やぎを、瀟洒に、そしてさらりと倭国人らしく描いてみせた傑作で、同時にヨーロピアンなオケの音色も魅力も全開だ。
録音もジャケットも素晴らしい、この先、ずっと手元に置いておきたい名盤だと思います。
カラヤンも同じような豪奢な1枚を残したが、あの華やぎは何度も聴けるものではないので・・・

小澤&ボストンは、フォーレにもオケ作品とレクイエムの録音があるが未聴です。

⑦20世紀音楽の名演

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  レスピーギ 「ローマ三部作」 (1977年)

ローマ三部作の面白さを私に植え付けてくれたのが、小澤さんのレコードだった。
録音も素晴らしくって、ボストン響の抜群のウマさとパワフルだけど、品位を兼ね備えた演奏が実に素晴らしかった。
若い頃は、豪快なシーンばかりに耳が行ってしまったが、昨今、この小澤盤を聴くときは、静かで精緻な場面に耳をそばだてるようになった。
それだけ緻密な演奏であり、心配りの豊かなローマ三部作なのだ。

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  シェーンベルグ 「グレの歌」 (1979年)

小澤さんの音盤のなかで、1番ともいえる名演であり、同曲の数多い演奏のなかでも1.2を争う演奏。
何度も書きますが、声楽を伴った大きな作品と、一瞬たりとも弛緩せずによどみなく、わかりやすく、そしてあるがままに劇的に仕上げることのできた小澤征爾。
しかもこの精度の高さをライブでもなしえてしまう耳のよさと職人技。
もちろんライブ感あふれる白熱さや感興の高まり、興奮などもこの膨大な作品にとてもあっている。
歌手も素晴らしくて、ノーマンもいいが、トロヤノスがいい。
やぶれかぶれのマックラッケンもとんでもなくヘルデンしてる。
小澤さんの追悼に、マーラー9番や10番もしめやかでいいが、わたしは、グレ・リーダーの輝かしいラストも相応しいと思った。

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  アイヴス 交響曲第4番 (1976年)

これも小澤&ボストンの傑作の1枚。
副指揮者を要し、若い頃はその副指揮者だった小澤さん。
ここでは、ひとりですべてをこなし、当時はベルリンフィルでも指揮して一同を驚かせてしまった。
抜群の切れ味とクールさ、音色のあたたかさ、複雑な音楽がやがて収斂して簡潔に響くようになる様を見事に描き切る能力。
4つの交響曲、ぜんぶやって欲しかった。

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  武満 徹 「カトレーン」「鳥は星形の庭に降りる」 (1977年)

小澤&ボストンの武満は今や希少です。
研ぎ澄まされた武満作品に、小澤さんの緻密な指揮と味わいは必須。
ゼルキンやストルツマンのアンサンブルタッシを想定して書かれた「カトレーン」は異空間のイメージ漂う夢想とリアルが入り乱れる曲で、わたしはこの初演を聴いております。
ボストンでの初演作、鳥は星形と合わせ、自分には思い出深い1枚です。
倭国人指揮者は、みなさん共通に武満の音楽をレパートリーにしてますが、小澤、岩城、若杉、秋山の4氏が最強でありましょう。
倭国人作品も多く指揮して広めた功績も小澤さんにはおおいにあります!


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小澤・ボストンの最良のピーク時の1986年の来日、わたしは聴くことができました。
サントリーホールがまだなかったので、文化会館をメインに、横浜、大阪、京都、神戸、尼崎、広島、静岡、甲府という公演。
いまプログラムを見返し、倭国の受け入れ側も地方が豊かで、中央ばかりでなかったことがわかります。
プログラムは、マーラーの3番をメインに、ベートヴェンの3,5番、ブラームス1番、ツァラトゥストラ、弦チェレ、マメールロワ、プロコのロメジュリなどです。
初心者もツウもうならせる見事な演目を倭国各地で披露したのでした。

ワタクシは、文化会館でのマーラー3番。
この曲のライブの最初の機会でした。
もうね、小澤さんのキビキビとしつつ、巧みなキューと音楽そのものと化した指揮姿に釘付けでしたよ!!
ボストンの面々も真剣に、深刻に、ときに喜悦に満ちた表情を浮かべながらの演奏は、指揮者に全幅の信頼を寄せてのものでした。
ビムバムが倭国の少年少女たちによって歌いだされると、楽員のみなさん、とくに多くいらした女性奏者たちが、お互いに顔を見合わせながらにこやかにしているのをまじかに拝見。
最終楽章の麗しき平安の世界を描いた小澤さんの指揮ぶりと、楽員のみなさんの幸せそうなお顔の数々・・・・
いまでも覚えてます。

音楽史上、もっとも幸せな結びつきだったのが、「小澤征爾とボストン響」だったといえると確信します。

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ボストン響のX投稿から。
歴代のボストン・ポップスの指揮者たちともお友達。
切れちゃってますが現在のネルソンスとのツーショットもうれしい。

まえにも書いてますが、神奈川県西部に育ったワタクシは、高校時代にオーケストラ部にちょっと所属してまして、そのときの仲間と近くの箱根に遠足。
そこで出会った外国人に、果敢にもみんなで声掛けし、どこから来たんですか?
ボストンよ、と妙齢のマダム。
すかさず、ワタクシは、ボストン・シンフォニー、セイジオザワと矢継ぎ早に返信。
ご婦人と旦那さんは、思い切りにこやかに、ベリーグッドと答えてくださいました。
もう半世紀近くまえの思い出語り、片田舎の青年でも、小澤さんがどれほど誇らしく思えたことでしょう。

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ボストン響のHPから。

シンフォニーホールの「B」を消灯して、「SO」

「セイジ・オザワ」

永遠なれ、われらが小澤征爾さん!

ありがとう、わが音楽ライフを導いていただきまして。

ゆっくりおやすみください

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2024年3月 2日 (土)

小澤征爾さんを偲んで ②

Seiji-ozawa

小澤さんの公式サイトからの訃報のご案内。

逝去が伝えられてから、世界のありとあらゆる方向から、お悔やみが報が相次ぎ、こんなところでも小澤さんは指揮台に立っていたのかと驚くばかりでした。

前回の記事にも書いたとおり、「世界のオザワ」は、われわれが思う以上に「世界のオザワ」だったし、偉大な存在だったことを思い知りました。

1回や2回では終わりそうもない、小澤さんと世界のオーケストラとの共演のレビューですが、こたびの訃報を受けてのまとめでは、ボストン響とそれ以外と、大きく2回に分けて顧みてみたいと思いました。

ボストンは最終として、まずはそれ以外のオーケストラや劇場との演奏を手持ちの音源やエアチェック音源で大急ぎで聴きなおしてみました。

①NHK交響楽団

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武者修行→ブザンソン、カラヤン・コンクール、クーセヴィッキー賞を経て、カラヤンとバーンスタインの知己を得た小澤さんを、倭国を代表するオーケストラが迎えたのは自然な流れ。
そこで起きた不幸な出来事は語り草の世界ともなりましたが、1963年を最後に、後年N響の指揮台に復活するまで32年を経ました。
キングレコードからかつて出たN響のライブを集めたなかにあったのが、62年のメシアンの「トゥーランガリラ交響曲」。
それを先ごろNHKが放送してくれて、聴くことができましたが、切れ味抜群で、豊かなエキゾシズムを讃えたシャープな演奏でした。
95年の歴史的な再開も、ロストロポーヴィチの登場も合いまして、当時とても感激した思いがあります。
しかし、その32年間は長かったし、もったいなかった長い期間でした。

②ニューヨーク・フィルハーモニック

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 バーンスタインの元で副指揮者をつとめ、1961年から1971年まで、その指揮台に立った。
同団の追悼を見ると124回のコンサートがあったというから、その一端でも聴いてみたいものだ。
バーンスタインの青少年向けのヤングピープルズ・コンサートにも若き小澤さんは登場していて、わたしも中学生のころに見た記憶がある。
正規録音としては、アンドレ・ワッツとのラフマニノフの3番の協奏曲ぐらいと、アイヴズぐらいしかないのが残念。
来日公演の記録とかもないものかな・・・・
1970年の同団の来日では、倭国フィルとの野球対決があり、そのときのレコ芸の写真はいまでも大切にしてます。
バーンスタインのあと、NYPOはブーレーズを指揮者に選んだわけだが、このとき小澤さんだったら、ボストンとの関係は出来なかったかもしれませんね。

③トロント交響楽団

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倭国でのポストを伴った活動を辞して、アメリカ大陸での活路を求めた小澤さんの前には、自由で小澤さんの音楽スタイルを受容してくれる音楽風土がありました。
シカゴでのラヴィニア音楽祭と同時期に、カナダのトロントでポストを得た小澤さんは、後年もずっと繰り返し指揮し続けたレパートリーを取り上げました。
「幻想交響曲」と「トゥーランガリラ」と武満作品です。
いずれも、録音もいまだに素晴らしく、若き小澤のメルクマールとしての名盤としてずっと残しておきたい演奏だと思います。
ちなみにトロント響は、かつては楽団存続に危機もありましたが、いまはG・ヒメノのもと、なかなかよさげな活動をしてます。

④シカゴ交響楽団

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 夏のラヴィニア音楽祭での成功から、ショルテイ就任前のシカゴ響との関係を深めたのは、マルティノンが音楽監督時代で、60年代半ばから後半まで。
RCAレーベルとトロント響と同時に、いくつもの録音をなし、さらには欧州ベースのEMIにも録音が開始されたことで、倭国人として初の欧米メジャーレーベルとのレコード録音という快挙を成し遂げたのでした。
この頃から、小澤さんは長髪となり、燕尾服やスーツを着ないで、白い上っ張りのような衣装や、白いタートルネックを着用するようになり、お堅いクラシック業界のなかにあって、型にはまらない革新的な存在としてビジュアル面でも抜きんでた存在となっていきました。
まだビートルズが解散せずに、世界のミュージックシーンを席巻していた頃です。
 こうした小澤さんのクラシック音楽界における革新性は、そのスポーティな指揮姿とともに、ビジュアル面、大胆で斬新な音楽造りといった多面的な要素が合い増して、世界に新鮮さと驚きをあたえることとなりました。
当の倭国では受け入れられず、アメリカが迎えた小澤さんなのでした。

シカゴとの音源では、「シェエラザード」とヤナーチェクのシンフォニエッタが極めて秀逸。
RCAへの、ベートーヴェン第5や「春の祭典」も、のちのボストンでの大人の演奏もいいが、若書きのこちらもすこぶる鮮度が高い。

⑤倭国フィルハーモニー交響楽団

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 倭国では、フジサンケイグループの傘下にあった日フィルが小澤さんを迎え、首席指揮者として、読響の若杉さんとまるで競争するように、当時倭国初演となるような大曲を次々に演奏していった。
前の記事にも書きましたが、フジテレビ関東局8チャンネルの日曜の朝、日フィルの演奏会の放送があり、そこで小澤さんの名と指揮ぶりをしることとなりました。
日フィル時代の小澤さんの音源は、万博の時期も重なり、倭国人作曲家のものや、協奏曲作品が多くあり、いまそのあたりを聴いてみたいと思っています。
1972年、フジグループの放送撤退で、楽団の危機に陥り、分裂した日フィルからの新日フィルに小澤さんは注力することとなりました。

⑥サンフランシスコ交響楽団

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 1970年に音楽監督就任、当時アメリカでの録音に乗り出していたDGとすぐさま契約し、ガーシュインやバーンスタイン作品を録音。
ロメオとジュリエット3態などは、企画の良さもあって絶賛されました。
サンフランシスコ響はフィリップスとも録音を開始し、DGにはボストンとの録音ということで、70年代はアメリカでメジャーレーベルを股にかけての活躍が目立ちました。
明るく、カラッとしたカリフォルニアサウンドともてはやされ、それはフィリップスレーベルの音の良さも手伝って、小澤さんの竹を割ったような明快サウンドとともに倭国のわれわれも、誇らしい思いにさせてくれたのでした。
英雄と新世界、のちの再録音より、このときのものが私は大好きですね。
サンフランシスコ響が、アメリカでのメジャーの存在を確立できたのは、小澤さんの治世からだし、次のデ・ワールト、ブロムシュテット、MTT、サロネンの秀逸な指揮者に恵まれていくのも小澤さん以降です。
 先にも書きました、1975年の同団との凱旋公演は、小澤さんが海外のオケを引き連れて倭国に帰ってきた初の公演だった。

⑦パリ管弦楽団

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 1970年頃からその相性の良さもあいまって、EMIでの録音の始まったコンビ。
チャイコフスキーの4番、火の鳥、ベロフとのストラヴィンスキー、ワイセンベルクとプロコフィエフとラヴェルといった具合に、カラフルな曲目を、まさにそれらしく演奏した華やかなイメージを与えたコンビ。
ミュンシュのオーケストラをボストンと同じように小澤さんが指揮をして、EMIにレコーディングをする、これもまた倭国人の気持ちをめちゃくちゃ刺激する快挙でありましたね。
 さらに小澤&パリ管は、フィリップスへも録音を開始ししたけれど、チャイコフスキーの録音だけで終わってしまったのが残念なところだ。
パリ管は、バレンボイムでなく、小澤さんを選択すべきだったと思うし、ボストンとパリの兼任はレパートリー上もやりやすかったのではないかと思いますね。
フランスのオーケストラとは、このあとフランス国立菅との関係を深めていくことになります。
パリ管の訃報記事がなかったが、その本拠地のフィルハーモニーの追悼X

⑧新倭国フィルハーモニー交響楽

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日フィル解散後、自主運営で荒波に漕ぎ出した新倭国フィルを当初かた導いたのが小澤さん。
楽壇の追悼文を拝読すると、小澤さんとの共演は624回に及んだとしており、ボストンと後年のサイトウキネンとともに、小澤さんともっとも親しく音楽を歩んだオーケストラといえます。
私も「燃える小澤の第9」のキャッチで買ったレコードを気に、第9で小澤&新日フィルのコンサートに通い始め、会員にもなって、数えきれないほど聴かせていただきました。
それらの詳細はいつかまとめて記録しておこうと思います。
小澤コネクションを活かして、世界のトップが客演してくれて、新日の演奏会で間近に聴くことのできた偉大な演奏家もたくさん。
ゼルキン、ポリーニ、ベーレンス、ノーマン、タッシほか、たくさん。
武満作品の初演や、オペラもいくつか、レコーディングしなかったシューマンなども・・・・
ほんとにありがたく、身近な存在として感じられた小澤&新日フィルなのでした。


⑨ボストン交響楽団

 サンフランシスコと兼任で、1973~2002年という長期にわたる音楽監督の在任記録を作りました
ボストンとの関係は、特別ですので、追悼③にて取り上げたいと思います。

⑩ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

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  デビューしたてのころは、ロンドン交響楽団との共演や録音があった。
その後、70年代以降のロンドンでのオーケストラパートナーは、当時のニュー・フィルハーモニア管だった。
アーカイヴは全部調べておりませんが、それでもニュー・フィルハーモニアとは70年代までの共演でとどまった。
しかし、その関係は相思相愛だったはずで、ボストンやパリでやった演目をそのままロンドンでも指揮していました。
第9の2枚組のレコードの最終麺に、リハーサル風景が収録されていて、和気あいあいとした雰囲気のなかに、また皆さんと共演できます、ベルリオーズのファウストですと小澤さんが言うと、楽員から大喝采があがりました。
その第9は、おりしも世界的なオイルショックのおりの録音で、会場には満足な暖房がなく、みんな防寒着を着て演奏している光景もジャケットや手持ちの雑誌に残されてます。
しかし、音楽はとんでもなく熱く、オケも合唱も、ソロもみんな、小澤さんと一体化して、ライブ感あふれる演奏が見事なフィリップス録音でもって残されたのでした。
この「小澤の第9」はほんとに大好きです。
ニュー・フィルハーモニアとはモーツァルトの交響曲、P・ゼルキンとのベートヴェンもRCAに残されましたが、こちらは未聴で聴いてみたいですね。
 今回の訃報は、ロンドンのオケはあまり取り上げてなかったです。
その点がちょっと意外だった。

⑪フランス国立管弦楽団

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パリ管との関係から、フランス国立菅へとパリでの活動の比重を移しました。
思えばバーンスタインもそうでしたね。
フランス的な作品ばかりを録音し、カルメンを含むビゼー、オネゲル、オッフェンバックなど、それらの作品のスタンダードとなりうるものばかり。
そのレパートリーもふくめ、小澤さんの一番素敵な側面が聴かれるのがフランス国立菅との演奏だと思います。
華やかに響きがちだったパリ管よりも、小澤さんの円熟度合いも深まった、ナショナル管との方がいいですね。
実際の演奏会では、マーラーの千人とか、大規模作品をやっていて、アメリカ、ドイツ、フランスでの各地の演奏拠点での小澤さんのレパートリーの組み方、誰かアーカイブを作成してくれませんかね。

⑫ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

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 カラヤンに教えを請うたゆえに、当然にベルリン・フィルとも深い関係を築く。
1966年以降2016年まで、極めて多くのコンサートを指揮し、倭国にも一緒に来た。
ベルリン・フィルでは声楽を伴う大規模作品をしばしば取り上げたが、そうした大作の録音がなされなかったのは本当に残念なことだ。
楽団は、小澤さんを名誉団員として迎え、大いに評価したこともまた誇らしいことです。
カラヤンの輝かしい音色とは違う、機動力に飛んだしなやかで鋭敏な演奏を小澤さんと残したベルリン・フィル。
このオーケストラもまた小澤さんとの相性がバツグンだったと思います。
チャイコフスキーの交響曲や管弦楽作品、ガーシュイン、カルミナ・ブラーナなどの華やかな作品のほか、このコンビの金字塔はプロコフィエフの交響曲全集であろう。
これだけでこぼこのない、高水準のプロコフィエフ全集がベルリン・フィルによって残されたことが幸甚なことだ。
手持ちに、マーラーの千人の交響曲の75年のエアチェック音源があるが、その熱量たるや目を見張るものがあり、ライブでの小澤さんのすごさをまざまざと感じさせます。
将来、ベルリンでのライブ音源が正規化されることを望みます。

⑬サイトウキネン・オーケストラ

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いうまでもなく、小澤さんの生涯の師は斎藤秀雄さんでしょう。
バーンスタインでもカラヤンでもなく、斎藤サン。
独特の指揮の技術は、倭国人ならではの細やかさと、緻密さ、細かなところまで伝達できる人知と決めごとを伴ったものでしょう。
秋山和慶さんとともに、1984年にスタートした倭国人によるスーパー・オーケストラはのちのアバドのルツェルンにも匹敵するような、同じ思いを共有する者同士の有機的なオーケストラ。
ブラームスの全集は、われわれ倭国人が世界に誇るべき超名盤だと思います。
数多くのメジャーレーベル録音も残しましたが、わたしにはこのブラームスを越える演奏が見当たりません。
もちろんいまだに聴いていない音盤もあるし、恥ずべきことに実演での小澤&サイトウキネンを経験してません。
でも、批判を覚悟に述べますが、海外のトップ奏者もいるとはいえ、倭国人同士のどこか箱庭的な演奏に、のちになっていくのを感じましたし、小澤の円熟が、あまりに悟りの境地的な、上善如水のような無色透明な領域の高みへと達しすぎてしまった感を自分では否めず、その音楽が楽しめなくなっていったのでした。
こんなこと書いてケシカランと思うむきもございましょう。
円熟の極みは、オケが感化されてしまい、なにごとも予定調和に安住してしまうという弱点もあるとも思う。
昨今でいえば、ブロムシュテットがそのような高みに至っているし、引退前のハイティンクもそうだった。
 しかし、そんな小澤&サイトウキネンの超絶名演は、あとは武満作品とプーランクにあったと思ってます。
透明感と軽やかさ、それが小澤さんの晩年スタイルだったかと。
水戸室内管も仲間同士の思いが結実した楽団で、小澤さんは1990年結成時かた指揮をしてました。
澄んだ晩年スタイルをより徹底させるには、倭国人による室内オケがいちばんだったでしょう。
若い奏者たちを好んで指揮し、指導したのも小澤さんならではです。

⑭ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

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 ウィーンフィルとも1966年に初共演。
ザルツブルク音楽祭でいきなりコジ・ファン・トゥッテを指揮したが、そのときの評価はまちまちだったとのこと。
ウィーンフィルとの本格活動は、1980年代後半からでフィリップス録音でのドヴォルザーク・シリーズやR・シュトラウスなどは、このコンビならではのまろやかかつ、リズム感にあふれた演奏だと思う。
でも世評高いシェエラザードは、かつてのシカゴやボストンの方が面白みがあるし、ウィーンフィルとしてもプレヴィンの二番煎じみたいな感じだ。
 ウィーンフィルとはベルリンでのような大胆なプログラムの選択が出来ず、さらには体調も関係もあり、小澤さんならではの大向こうをはった演奏ができなかった、そんなイメージがあるコンビです。
そんななかで、エアチェック音源での、シェーンベルク「ペレアス」がドライブも効いてて、さらに濃厚さと透明感がいい具合な名演だ。
ウィーンとは、もっと若い時期での蜜月を望みたかった。
 ニューイヤーコンサートでは、小澤さんならではのライブ感と盛り上げのウマさが際立ったものでしたが、体調のこともあり、その後の登場がなかったのが残念ですね。

⑮ウィーン国立歌劇場

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  ウィーンとの良好な関係は、オペラ座の音楽監督というポストに帰結し、それはアバドのあとの数年の空白を埋めるものでした。
アバドと小澤、それからメータは、みんなアドバイスし合う仲間で、ウィーン時代のアバドにインタビューをした岸恵子さんがMCをした番組に、オネーギンで客演していた小澤さんや、その小澤さんがアバドに電話をしてきた様子などが放送されました。
スカラ座に小澤さんが登場したのもアバドの時代。
そんな横のつながりが、国際的であり、音楽でつながる信頼感のようなものに感じ、とてもうれしく思いました。
シュターツオーパーのアーカイヴを調べると、88年のオネーギンから09年の同作品まで、18作品を指揮してます。
ふたつのチャイコフスキー作品、ファルスタッフ、オランダ人、トスカ、ヴォツェックなど、得意のレパートリーに加え、クルシェネクの「ジョニーは演奏する」を上演するという画期的なこともなしました。
 しかし、小澤さん、もっと早くにオペラに入り込んで欲しかった。
アメリカのオーケストラの音楽監督は音楽以外のこともあり、忙しいと聞く。
どこかのハウスで、レパートリーの拡張をしておくべきだった・・・というのは贅沢な思いですかね。
ウィーンの劇場の音源はORFに記録がたくさん残っているはずです、このあたりも楽しみです。

⑯そのほか

スカラ座には、コンサートとオペラで何度か登場。
トスカ、オベロン、オネーギン、スペードの女王がその演目。

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パリ・オペラ座とはウィーン前はかなり登場。
なんといっても、メシアンの「聖フランチェスコ」の83年の初演が歴史的な快挙。
この長大なオペラを初演に導き、完全に手の内におさめたわかりやすい指揮は、小澤さんならではで、ほかの指揮者ではあの時ありえなかったことだろう。
小澤さんの代表作といっても差し支えないと思う。
パリでの相性のよさは、オペラでも同じ、ファウストの劫罰、フィデリオ、トゥーランドット、トスカ、ファルスタッフ、タンホイザーなどを指揮している。
フランスのミュージック専門サイト、国をあげて小澤さんを追悼してました。

メトロポリタンオペラには、オネーギンとスペードの女王の2演目で。
92年と2008年です。
こうしてみると、小澤さんのもっとも得意としたオペラは、チャイコフスキーのふたつの作品ということになりますね。
抒情と劇性のたくみな両立、そしてサスペンスにも似たスリリングな音楽造りがばっちり噛み合ったのがチャイコフスキーのオペラだったのでしょう。

コヴェントガーデン・ロイヤル・オペラ
ここでもオネーギン。
しかし、1974年の1度だけで、このときはショルティにとってかわってレコーディングが行われた。

  ーーーーーーーーーーーーーー

以上、ざっと思い当たる小澤さんの指揮した先を調べました。
それにしても、アメリカ・ヨーロッパ、当然に倭国で、ロシア以外の世界で活躍。
そして2010年以降の体調不良で、アクティブな小澤さんの活動の足を引っ張ることとなり、それ以降は晩年といえる余生を過ごすことになってしまったことが残念極まりない。

最後は、ボストンでの音楽を聴きつつ振り返りたいと思います。

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献花台を見てたら泣けてきました・・・・

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2024年2月24日 (土)

神奈川フィルハーモニー第392回定期演奏会 沼尻竜典指揮

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横浜みなとみらいの夜景。

この写真を撮るのも久しぶり。

目を凝らしてみると、かつてはなかったロープウェイも見えます。

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桜木町から、ランドマークタワーを抜けてのホールへのアプローチも久しぶりで、途中、神奈川フィルのポスターもあり、ますます期待が高まります。

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  グリーグ ピアノ協奏曲 イ短調

    ピアノ・ニュウニュウ

  マーラー 交響曲第7番 ホ短調 「夜の歌」

 沼尻 竜典 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

          コンサートマスター:大江 馨

        (2024.2.17 @みなとみらいホール)

マーラー7番だけで80分、これ一曲でも一夜のコンサートとなる。
1曲目にグリーグの協奏曲が演奏されるという極めて贅沢な美味しいプログラムでした。
プレトークでは、沼尻さんは、亡き小澤さんの思い出をお話しされ、またマーラーでの小澤さんのエピソードなども。

グリーグの協奏曲、はっきり言って、シューマンと並んで大好きです。
でも苦言を言わせていただければ、メインのマーラーとの兼合いでいけば、シューマンか、またはピアニストの徳性からいってリストでもよかったかな。
または、ラフマニノフでやってなかった1番とか・・・

自然を賛美、祖国の自然を歌いこんだグリーグの愛らしい協奏曲と、個人の感情の世界とドイツの自然と人間愛にどっぷり浸かったマーラー、この相いれないふたつの世界を一度にして味わえるという、これまた類まれなるプログラムなのでありました。

   ーーーーーーーーーーーーーーーー

幼い頃のニュウニュウ君の画像でしか認識のなかったが、ホールに颯爽と登場したニュー・ニュウニュウ君は、見事に背が高く、見栄えも抜群の今風の青年になってました。
自信にあふれた物腰は、かの国の芸術家に共通する物腰で、ひとたび鍵盤に向かうと没頭感あふれる演奏を披歴してくれます。
両端楽章でのダイナミックなか所では、文字通りバリバリと弾きまくり見ても聞いても快感呼ぶ演奏。
また、没頭の雰囲気は、音楽にすっかり入り込んで、フレーズのあと弾いた手と腕がそのまま宙を舞うような仕草をするし、へたすりゃ指揮までし兼ねないくらいに入り込んでる。
慎ましい倭国人演奏家では絶対に見られないニュウニュウ君のお姿に、やはりかの国のピアニストを思ってしまった。
でも若いながらに、2楽章の抒情の輝きは見事でした。
ことにこの楽章での神奈川フィルの音色の美しさは、コンマスに組長なくとも、オケの特性として、みなとみらいホールの響きと同質化して、ずっと変わらぬものとして味わうことができましたね。

   ーーーーーーーーーーーーーーー

超大編成の80分が後半戦という、演奏のみなさんも、聴くこちらも、体力と集中力を試されるかのようなプログラム。

この日の満席の聴衆は、その集中力を緊張感とともに途切らすことなく聴きとおしたのだ。
オーケストラと聴き手の幸せな一体感は、かつてずっと聴いてきた神奈川フィルの演奏会、そしてみなとみらいホールの雰囲気ならではとも、久方ぶりに参加した自分にとって懐かしいものでもありました。
音楽に没頭させる、夢中にさせてしまう、マーラーの音楽がこれほどまでに、現代を生きる私たちにとって身近で大切なものになったとも感じました。

かつて、2011年、震災間もない4月に、マーラーチクルスをやっていた神奈川フィル、聖響さんの指揮で聴きました。
そのときは、若々しく素直な演奏で、横へ横へと流れるような流動的な棒さばきでありながら、時期が時期だけに、没頭的でなく、どこか遠くで醒めた目でマーラーを眺めたような感じだった。

そのときの流動的なマーラーとまったく違う、輪郭のはっきりとした明確かつ着実な足取りを感じさせた演奏が、今回の沼尻さんのマーラーだった。
数年前に聴いた、ノットと東響の演奏が、まさになにが起こるかわからない緊張感とライブ感にあふれた万華鏡のようなマーラーともまったく違う。
オペラ指揮に長けた沼尻さんならでは、全体の見通しのなかに、5つの楽章の特徴を鮮やかに描きわけ、最後の明るいエンディングですべてを解き放ってしまうような解放感を与えてくれた。
きっちりと振り分ける指揮姿も、後ろからみていて安心感もあり、オケへの指示も、さすがのオペラ指揮者を思わせる的確・明快な雰囲気でした。

テナーホルンの朗々たる響きで見事に決まった1楽章は、そのあとのゾクゾクするような7番の交響曲の一番カッコいいスタートシーンで、もうワタクシはこの演奏に夢中になりましたよ。
抒情的な第2主題では神奈フィルストリングスの美しさも堪能。
この主題と元気な第1主題とがからみあう、めくるめくような展開に、楽員さんみなさんをきょろきょろみながらチョー楽しい気分の私。

坂東さんの見事なホルンで始まる2楽章、コル・レーニョあり、カウベルあり、ティンパニの合いの手あり、哀愁と悲哀、そしてドイツの森の怪しさもあり、いろんなものが顔を出してはひっこむこの夜曲、楽しく拝聴し、オケがいろんなことやるのを見るのも楽しかったし。

7番で一番苦手な、影の存在3楽章。
音源だけだと、いつも捉えどころなく出ては消えで、いつの間にか終わってしまう楽章だけれど、視覚を伴いコンサートだと、楽しさも倍増。
弦の皆さんは、いろんな奏法を要求されるし、ほんと大変だな、マーラーさんも罪なお人だな、とか思いながら鑑賞。
ボヘミヤやドイツの森は、こんな風に深く怪しいのかなと思わせる演奏。

大好きな4楽章の夜曲。
以前から書いてますが、若い頃、明日からのブルーマンデーに備えて、日曜のアンニュイな気分を紛らわせるために、寝る前のナイトキャップとマーラー7番4楽章が定番だった。
望郷の思いと懐かしさ感じるこの楽章、ちょっとゾッとするような怪しい顔もかいまみせるが、そのあたりをムーディに聴かせるのでなく、リアルに、克明に聴かせてくれたこの日の演奏だった、
大江コンマスも素敵だったし、親子でマンドリンとギターで参加の青山さん、お二人の息のあった演奏もこの楽章の緩やかさを引き立ててました。
2011年も、お父さんの登場だったかな・・・?

急転直下の楽天的な5楽章。
ガンガン行くし、もう楽しい~って気分がいやでも盛り上がるし、よく言うワーグナーのマイスタージンガーの晴れやかさすら感じましたよ。
ハ調はやっぱり気分がいいねぇ~
なんども変転し繰り返される主題に、いろんな楽器がまとわりつく様は、下手な指揮とオケだときっとぐちゃぐちゃになってしまうだろう。
ここでも沼尻さんの打点の明快な指揮が、聴き手にも、それ以上に安心感を抱けるものです。
しかし、この楽章だけでも、泣いたり笑ったり、怒ったりしたような様々な表情をするマーラーの音楽は、ほんとうに面白い。
エンディングに向かうにつれ、わくわくドキドキが止まらなくなり、オケの皆さんを眩しい思いで拝見。
そして来ましたよ、すべてを吹き飛ばすような晴れやかなエンディングが、ジャーンと見事に決まりましたよ!
ブラボー攻撃に、わたしくも一声参加させていただきましたよ。

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終演後は、早めに帰らなくてはならなかったので、勝手に応援団の懐かしい仲間との大反省会には参加せず、遠来の音楽仲間の友人と桜木町駅近でサクっと1杯。
マーラー7番が大好きな方と、マニアックな話しをしつつ楽しい時間を過ごしました。
そのとき、お話しが出たのは、神奈川フィル聴衆も指揮者へのカーテンコールをしたらどうか、ということ。
たしかに、東響ではノット監督ばかりでなく、来演の指揮者に対してもとてもよかったときは、指揮者を呼び出すような熱心な拍手が継続しますね。
この日も、もっと頑張って粘りの拍手をすればよかったww

「何でもアリ」のマーラーの音楽が、いまこうして完全に受入れられる世の中になった。
やがて私の時代が来ると予見したマーラーさん。
人同士がリアルに交わらなくなくても生きていけるようになってしまった現代社会。
それでいいのだろうかと自問せざるを得ないが、その現代人にマーラーの音楽は、自己耽溺的に響くとともに、人間の姿と自然のあり様を見るのだろうか。

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«小澤征爾さんを偲んで ①

 

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